大丸、三越伊勢丹…誰も語れない百貨店分析 政府の施策が百貨店を殺す「本質的理由」

河合 拓
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百貨店の問題の本質は、オーバーストア

 それでは、百貨店は完全に歴史的使命を終え消えゆく運命なのだろうか

 百貨店は、私が第一作目の「ブランドで競争する技術」を書いた時、250店もあったが、あれから10年たち、いまや200店をきっている。あと5年で100になるという人もいるが、私もそう思う。なぜなら、今の200という数はどう考えても多すぎるだからだ。

 東京を例に、銀座や新宿などに百貨店はいくつあるか想像してもらいたい。ナショナルブランドを扱っているという性質上、売っているものに違いがないのだから、いくらなんでもありすぎだ。だから、GINZA SIXができたときも、「見せ方が違うだけで、基本的には百貨店がまたできた」と、その将来を案じたものだった

  衣料品専門の百貨店で、米国の名門百貨店バーニーズニューヨークの新宿店が先日長い歴史に幕を閉じた。同店舗のある新宿東口エリアには、世界一のメガ百貨店新宿伊勢丹(単店舗で2400億円も売上がある世界一の百貨店)があり、ファッションビルの丸井、駅近くの高島屋に囲まれている。百貨店で自由に服を好きなだけ買える人など、日本ではごく一部だから、これだけ店数が多ければ閉鎖せざるを得ない店が出るのは当たり前なのだ。

  では、三越伊勢丹ホールディングスとアパレルで時価総額世界一になったユニクロ率いるファーストリテイリングの売上は、日本ではどちらが大きいだろうか。

 多くの人が「ファーストリテイリング」と思ったことだろう。だが、三越伊勢丹の20203月期(コロナ前)の売上は海外百貨店を除いて1兆円以上、ファーストリテイリングの国内売上は、ユニクロ、GUなど含めて約9000億円と、実は三越伊勢丹の方が国内売上は大きい(ファーストリテイリングの売上は連結では2兆円)。このように、国内経済への貢献ということではいまだ三越伊勢丹の方が大きいのである。 

 では百貨点の問題は何か。それは、日本人が皆「総中流」と思っていたバブル時代に、館の数を増やしすぎたことにある。当時、多くの日本人は休日に家族で百貨店に行っていた。したがって、あのでかい館を出せば出すほど百貨店は儲かった。そして、世界でも類を見ない、ラグジュアリーデパートメントストア(高級百貨店)が、日本で300弱もできてしまったのである。

  単純に、都道府県数で割れば、1つの県に百貨店が約6店もあることになる(実際は、東京や大阪などに集中しているのだが)。海外旅行に行った人は想像できると思うが、世界の主要都市、パリ、ミラノ、ニューヨークなどでは百貨店は5つあれば多い方だ。つまり、平均すれば、日本中がパリ、ミラノ、ニューヨークになったのである。国が恐ろしい勢いで成長していると誤解して、アクセルを踏み込んだわけだ。やがてバブルが弾け、虚構で成長していた日本経済は実態価値に収斂され、さらに、成長は止まり成熟社会、そして循環型社会へと移行する。このような視座で考えれば、日本の百貨店は日本の主要都市の好立地に数件あれば良いということになる。

 海外にはない、日本の百貨店だけが持つ価値

 一方日本の百貨店には、海外百貨店にはない、日本文化と切り離せないものがある。それは、ハレの日の「お中元」と「お歳暮」「結婚式の引きでもの」などだ。日本人は無宗教なのに正月やクリスマスには、突然仏教徒やクリスチャンになるわけだが、他人に渡すお土産は常に百貨店の「のしがみ」に包まれていなければならない。我が家でも、お正月のおせち料理だけは高島屋で買っている。毎日コンビニでお弁当を買っていても、お正月ぐらいは百貨店で買いたい気持ちになる。

  学生時代にアメリカにホームステイに行った時、「今日は日本からお客さんが来た」と、マクドナルドに連れていかれ、かつ、お金は割り勘だったのに驚いたことがあるが、実際はこれが世界の常識。異常なのはアジアの一部の国と日本の方だ。

 結婚式、就職など縁起の良い日の食事の場、お土産を買う場として百貨店が選ばれるのだ。これは、米国のラグジュアリーデパートメントストアとは全く違う日本独特のものである。こうした考察をせず、クリックアンドコレクト、コインロッカーやガソリンスタンドでの受け取りなど、オムニチャネル黎明期にはアメリカの手法をそのまま取り入れ、改革が失敗した事例を沢山見てきた。

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