#13 「不要不急の店」じゃない! 北海道の過疎地の生活を支えるホームセンター

北海道新聞:浜中 淳
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DCMホーマックは遠隔地のハンディを高度なシステムで克服し、北海道・東北トップのホームセンターに躍進した(札幌市厚別区のDCMホーマック厚別東店)
DCMホーマックは遠隔地のハンディを高度なシステムで克服し、北海道・東北トップのホームセンターに躍進した(札幌市厚別区のDCMホーマック厚別東店)

「困ったときにホーマックに行けば何とかなる」

 北海道では、ホームセンターに対し、食品以外の生活必需品が何でも揃い、困ったときにそこに行けば何とかなる-というイメージを多くの道民が持っています。これは、北海道現象5社の一つ、ホーマック(現DCMホーマック)によってもたらされたものと言っていい。屋号の「ホーマック(Homac)」は「Home Amenity Center」=「暮らしを快適にする店」の略称です

 北海道現象を起こした小売業経営者たちはみな優れた経営感覚とリーダーシップを兼ね備えた人たちばかりですが、「生まじめさ」という点においては、ホーマックを立ち上げた石黒靖尋氏(故人)がナンバーワンだったと思います。石黒氏の経営理念と、釧路という日本の東端でホームセンター事業に参入したという地理的ハンディが、独特のストイックな店づくりにつながっていった。

 ホーマックの前身は、石黒氏の父が設立した釧路市内の金物店、石黒商店です。68年に社長を継いだ石黒氏の転機になったのが73年のオイルショックでした。取扱商品の原価が急騰し、倉庫は返品された石油ストーブの山となった。石黒氏は呆然としながらも「高度成長時代が終わり、これからは暮らしに必要な商品を安く提供する店が求められるのではないか」と思ったといいます。その際、着目したのが米国のホームセンター業態でした。76年にホームセンター「石黒ホーマ」を釧路市内に開店。これがホーマックの1号店です。

 米国のホームセンターは、DIYと住宅リフォーム関連を軸に、家を1軒建てるための材料がすべて揃うような品ぞろえを特徴としています。石黒氏は米国流の店をそのまま真似ようとはせず「開店当初は、お客から要望のあった商品を自分ですべてメモに書き出して品ぞろえの参考にした」と振り返っています。元来の金物店の商品をベースに、生活雑貨、ガーデニング、ペット用品と商品カテゴリーを広げ、「暮らしを快適にする店」をつくり上げていったのです。

 ホーマックは、売上高1000億円突破(97年2月期)、東証上場(2部=98年10月、1部=2000年2月)ともに、北海道現象5社の中で一番乗りを果たしました。この成長力を磨いたのが過酷な経営環境でした。石黒氏の片腕として経営を切り盛りし、後継社長になった前田勝敏氏は、開業当初は在庫管理が大変で、胃の痛くなる思いの連続だったと語ってくれたことがあります。

 例えば、客の求めるネジが1本欠品していたとすると、当時の釧路には同業の店がないので、他の店を紹介することはできません。「そこで、釧路から本州のメーカーに電話で追加発注すると、電話代の方が商品原価をはるかに上回ってしまう」と言うのです。当時は距離に比例して電話料金が高くなる時代で、釧路という遠隔地で小売業を営むのはそれだけのハンディを背負っていたのです。

「商品がたった1個足りないことが、お客にも会社にも損をさせることを痛感した」。前田氏のこの危機感が「単品管理」の発想に行き着くことになります。この分野で先行するイトーヨーカ堂の社員をスカウトし、80年代半ばにはホームセンター業界の先陣を切ってコンピューターによる商品管理を開始。90年にはこれも業界初のPOSシステム導入に踏み切りました。ホームセンターは、クギや園芸用の土などバーコード管理になじみにくい商品の多いため、他の業態に比べPOS普及が遅れていたが、自力で全商品にバーコードを付けて実用化したのです。

 こうして売れ筋商品を把握して適正な在庫を保ち、店舗で売れた分だけ商品センターから自動的に補充する-というジャスト・イン・タイムの商品供給体制を確立。暮らしに必要な商品が低価格で揃う店と評判になって、「困ったときにはホーマックに行けば何とかなる」という道民の信頼を確固たるものにしました。

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