#2 北海道はチェーンストア理論の実験場だった!ある「学生ベンチャー」の挑戦

北海道新聞:浜中 淳
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生協というよりも学生ベンチャーに近い組織

札幌市民生協の創立集会(1965年7月、札幌市内。市民生協20周年記念誌より)
札幌市民生協の創立集会(1965年7月、札幌市内。市民生協20周年記念誌より)

 このようにコープさっぽろは、「札幌市民生協」という創立時の法人名とは裏腹に、市民運動とは無縁の形で誕生した異端の生協です。キャンパスの中から外へひたすら事業を拡大し、スピンアウトしたという経緯をたどると、生協というよりは学生ベンチャーに近い性格を持つ組織だったと言えるでしょう。

 発足当初のコープさっぽろは、持ち前のベンチャー気質をいかんなく発揮。最新理論を忠実に実践し、北海道の流通業界に革命を起こすことになります。その最新理論こそ、渥美俊一氏が唱えるチェーンストア理論でした。

渥美俊一氏の1967年の著書「ビッグストアへの道」第1巻「小売業成長の秘密」。当時の小売業経営者のバイブルだった。
渥美俊一氏の1967年の著書「ビッグストアへの道」第1巻「小売業成長の秘密」。当時の小売業経営者のバイブルだった。

 たった一つの店を繁盛店にしても成長は頭打ちになる。売上高を年2倍ずつ増やすため、周辺の消費者の大部分が買い物に来る大きさの店の数を精力的に増やせ-。渥美氏は67年8月に出版した著書で小売業の経営者にそう呼びかけました。「ビッグストアへの道」の第1巻「小売業成長の秘密」です。

 この本で渥美氏は、チェーンストア経営を軌道に乗せるには、持てる力を狭い範囲に注ぎ込む「集中主義」、特定領域で地域一番を続ける「一番主義」が大切だと主張。業態や取扱商品を特定分野に絞り込むことや、余分な資産を持たずに店舗拡張と店数の増加にのみ資金投入することを提言しています。

 コープさっぽろが68年5月に策定した第1期中期経営計画には、この名著の影響が色濃く表れています。70年度までの3年間で「食品流通の1割をまかない、業界第1位を目指す」ことを目標とし「供給高の年率100%成長をはかるため、すべての財源を新店開発に注入する」「食品を中心に地域一番の大型店舗をつくり、規模の利益を追求する」などの基本政策を打ち出しました。

 その結果は<表>の通りです。毎年の最終損益をゼロとし、すべての資金を出店に回す「集中主義」を順守。150坪の食品スーパーを前年の2倍ずつ増やしていく出店計画を遂行しました。規格化された店を2倍に増やせば、供給高も自動的に2倍になります。渥美氏が「小売業成長の秘密」で書いた「売場面積を2倍にすれば、売上高は、楽に2倍になる」という主張を見事に実践してみせたのです。

チェーンストア理論の“実験”により、北海道価格は引き下げられた

 

コープさっぽろは2度の経営危機を経て、現在はアークス、イオンとともに北海道で3極体制を形成している(札幌市西区の二十四軒店)
コープさっぽろは2度の経営危機を経て、現在はアークス、イオンとともに北海道で3極体制を形成している(札幌市西区の二十四軒店)

 コープさっぽろによるチェーンストア理論の「実験」がもたらしたインパクトは極めて大きかった。メーカーとの力関係が変化した結果、札幌の平均物価は67年に初めて東京を下回り、「北海道価格」は徐々に陰を潜めていきます。

 コープさっぽろは多店化を急ぐため他人資本(金融債務、組合債)を多用し、回転差資金も出店に回しました。組合員の出資金を地道に積み上げていく生協の基本から逸脱した手法であり、後に経営難を引き起こす一因になります。※仕入れた商品が売れて現金化するまでの期間と商品代金を支払う期間の差

 しかし70年末時点の札幌の食品スーパー店舗数でコープさっぽろの33店に続くのは、札幌フードセンター(現マックスバリュ北海道)の9店、大丸スーパー(現アークス)の7店に過ぎず、チェーンストアの要件(11店舗以上)さえ満たしていませんでした。コープさっぽろの大胆(無謀?)な挑戦がチェーンストア理論の有効性を証明し、北海道が「流通後進地」からいち早く抜け出したこともまた事実なのです。

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