新・北海道現象の深層② 北海道はチェーンストア理論の実験場だった! ある「学生ベンチャー」の挑戦

2019/05/17 05:00
浜中淳(北海道新聞)

北海道現象から20年。経済疲弊の地で、いまなお革新的なチェーンストアがどんどん生まれ、成長を続けている。その理由を追うとともに、新たな北海道発の流通の旗手たちに迫る連載、題して「新・北海道現象の深層」。第2回は、学生ベンチャーの気質で、チェーンストアづくりを北海道でいち早く行ない、当時高かった北海道の物価を引き下げた革新的な組織を掘り下げます。

札幌市民生協が創立した1965年に大学村店とともにオープンした桑園店(「コープさっぽろ30年の歩み」より)
札幌市民生協が創立した1965年に大学村店とともにオープンした桑園店(「コープさっぽろ30年の歩み」より)

かつて北海道は物価が高かった

 今からおよそ半世紀前、「北海道価格」という言葉が、北海道民の間で流行していたのをご存じでしょうか。これは当時の北海道における構造的な高物価を揶揄したものであり、前回紹介した「北海道現象」とは似て非なるネガティブな意味合いが込められていました。

  実際に北海道の物価がどれだけ高かったかは、北海道庁発行の「経済白書-北海道経済実相報告」1964年版に記されています。

  60年の日常品の物価は、東京を100とした場合に札幌は108.2と8%も高かった。この日常品の比較対象の中には石炭が入っていません。厳冬期の燃料代がかさむことを考えれば、道民がいかに苦しい生活を強いられていたかが分かるでしょう。

 当時の北海道は、生活物資のほとんどを本州のメーカー(工場)に依存していました。道内の卸・小売りに本州の大手企業と対等に取引できる力はなく、いきおい売り手の都合で価格が決まっていきます。

 「積雪寒冷に対応する経費が必要」「本州からの運賃がかかる」など、メーカー側の言い分によってコストがどんどん上乗せされ、割高な価格が形成されていったのです。

 こうした理不尽な「北海道価格」を変える組織が登場するのは65年のことでした。札幌市民生協、現在のコープさっぽろです。

コープさっぽろの“特異”な成り立ち

 生協は本来、地域の消費者がお金を出し合い、自分たちのほしい商品を確保するという組合員主導の組織です。その点、コープさっぽろの成り立ちは特異なものでした。

 コープさっぽろをつくったのは、北海道大学の大学生協(北大生協)で活動していた学生たちです。 

 戦後の47年に発足した北大生協は、極端に物資が不足していた時代に、学生や教職員にノートや本を供給し、学生食堂を通じて食事を提供する事業を始めました。北大キャンパスは国内の大学でも有数の広さを持つことから、学部ごとに売店や食堂を運営するなど、どんどん事業基盤を拡大し、ついには学外に店を持つまでになります。

1960年代前半に北大生協が学外で運営していた大学村店の店内(市民生協20周年記念誌より)
1960年代前半に北大生協が学外で運営していた大学村店の店内(市民生協20周年記念誌より)

 51年ごろ、北大キャンパスから約2キロ北のエリアに北大教職員の官舎が整備され、「大学村」と呼ばれるようになりました。当時は周辺に商店街もなく、教職員たちは日々の買い物にも苦労する状態でした。そこで北大生協の学生たちは58年から、大学村に出向いてご用聞きを始めます。その後、近隣の個人商店が空き店舗になったのを機に、この物件を取得し、61年に北大生協大学村店を開店させたのです。

 この学外店舗の評判はよく、63年には組合員700人に対し、年間8000万円を供給するほどに成長しました。現在の貨幣価値に直せば3億円規模になります。ところがこれが、大学当局をいたく刺激する結果を招いてしまいます。

  大学生協は学内で厚生事業を行うに当たり、施設の賃料や水道光熱費を免除されている。その特権を使って「学外活動」を大々的に行うことは認められない-というのが当局の言い分でした。「資金援助打ち切りも辞さない」と迫られた北大生協は、大学村店を切り離す決断をします。その受け皿としてつくられたのが、コープさっぽろだったのです。 

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チェーンストアづくりに影響を与えた、1冊の名著

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