「ラルフローレン」と「ユニクロ」が同じである理由とZ世代に対する誤解が生む悲劇

河合 拓
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私たちは、世の中の変化を見ながら、最も簡単に「ブランド」を作ろうと考える。だが、こうしたプロセスから生み出される「ブランド」は、そろそろ名称を変える時期にきている。その理由について説明するとともに、Z世代に対する誤解が生む悲劇について語ろうと思う。

anouchka/istock
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「ブランド」とはそもそも残酷な
「区別」するためのもの

そもそも「ブランド」とは、極めて残酷で非情なものである。わかりやすくいうと、自分と相手を分け隔てるための手段である。
例えばイギリスでは、話し言葉のアクセントだけで、その人が上流階級か中産階級か、はたまたそれ以下なのかを区別するようだ。また国際線の飛行機に乗れば、ファーストクラス、ビジネスクラス、エコノミークラスと3階層にシートが分かれており、その違いは単に企業の交通費だけでなく、明確にそのシートに乗る人を区別している。だから、会社の社長がエコノミークラスに乗ると、仮にビジネスクラスの方が何らかの理由で安かったとしても、組織の中で上司以上のシートに乗ることは許されないことが多い。私も、幾度も「CxOがエコノミーで来るのだから、ビジネスには乗れません」と、言われたものだった。

だからこれは、単にコストの問題だけではなく、人を区別する世界の常識なのだ。そしてブランドは、「着ているもので、自分とその他の違いを表す手段」として欧州で作られた。

 古い話となるが、映画「タイタニック」では、由緒正しい家柄に育ったご婦人達のお茶のみ話に、いわゆる「成り金」婦人が仲間に入れてもらえないシーンがあった。いくらお金を持っていようと、そして、いくら台所が火の車でも、血統がその人のクラス・階層を決めるのがイギリスの常識だったという一幕だった。

では、日本人にとってのブランドとは何かを、服の観点から考えるとどうなるだろうか。

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