「ラルフローレン」と「ユニクロ」が同じである理由とZ世代に対する誤解が生む悲劇

河合 拓
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「ラルフローレン」と「ユニクロ」が同じである理由

ユニクロ UNIQLO

バブル時代、日本人に世論調査を行えば、必ず返ってくる答えが「自分は中流の上だ」というものだったことを覚えていらっしゃるだろうだろうか。50代以上の方であれば、「ああ、そういうこともあったな」と思い出すだろう。

 当時、日本を席巻したのは「ラルフ・ローレン」だった。当時の「ラルフ・ローレン」のコンセプトは「ちょっと上質な生活」。当時の日本人の相当数の意識に合致していた、いわば、日本人の国民服だったわけだ。西武百貨店でラルフローレンの靴下やランチョンマット、バスタオルを買って詰め合わせ、西武百貨店ののし紙をつけて送れば問題ない。当時、ポロ競技のマークを胸に付けたポロシャツを着ていた人は山のように生息していた。

 しかし、あれから30年。(1990年をアパレル絶頂期と定義)日本人は先進国で最も貧しい国となった。豊かな生活どころか、今後街には失業者が山のように増える可能性もある。こうした時代の変化の中で登場したユニクロには、二つの差別優位性があった。一つは、圧倒的コスパ、もう一つは、デコラティブな装飾を排した、流行に左右されないベーシック衣料品ということだ。

経済が停滞し、景気も良くなければ、人は衣料品にお金を使っている場合ではない。できるだけ着回しが良く、お金をかけず上質なものを数年着る。消費者はSDGsからこうした行動をとっているのでなく、服にかけるお金がないから結果的にこのような行動をしているというのが私の見方である

「衣料品は、社会背景の鏡」。これは、私の分析の根幹をなすものであり、「世情」から販売戦略を考えなければならない。今のようにビジネスモデル論やデジタル技術から競争優位を語ったとしても、出てくるプロダクトは、どこまでいっても所詮は「服」だ。服そのもののイノベーション変数は価格以外にないし、その購買プロセスが超ハイテク技術を活用していても、所詮はプロセスに過ぎず、衣料品そのものではないのだ。

こうした極めてシンプルな事実を、我々は忘れているのではないだろうか。

いずれにせよ、あの時のラルフローレンは日本人そのものであった。同様に今のユニクロは日本人そのものなのである。言い換えれば、ラルフローレンはユニクロだったのである。

しかし、そのユニクロでさえ、買い替えサイクルが長期になり、できるだけコストセービングをしたい消費者は、衣料品を二次流通で購買するようになってきた。例えば、1112日に最後の販売を行った+Jは、これがファーストリテイリングか、と思うほど高価な衣料品で、おいそれと買える値段ではなかった。

 

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