「ビジネスを創った」不世出のゲームクリエーター、ダイエー中内㓛の打ち立てた金字塔とは

2020/11/04 05:56
千田直哉

もはや若い流通マンにとってダイエー創業者の故中内㓛(なかうち・いさお)さんは、遠く忘れられた存在になってしまった。中内さんは、流通業界に数々の金字塔を残したのだが、あまり振り返られることもなくなった。では、一体、どんな金字塔だったろうか? 

 

薬局から総合ディスカウンターへ

 まずは編年体にて追ってみたい。

 中内さんは、復員後の1948年、兵庫県神戸市三宮のガード下に「友愛薬局」を開業。駐留軍からペニシリンなどを仕入れ、安売りを開始する。

 51年には実弟の博氏を社長に据えて、大阪府東区に現金問屋の「サカエ薬品」を開いた。もともとは正規ルート外で資金繰りの厳しい中小メーカーや問屋から、商品を現金で仕入れ、小売商に小分けして売る商売だった。

 58年、神戸市三宮に第2号店三宮店を出店。チェーンストア化の第一歩を踏み出す。食肉、家庭電器などラインロビングを進め、総合ディスカウンターの道を歩み始めた。59年には衣料品販売も開始する。

 60年、プライベートブランド(PB)の第1号、「ダイエーみかん」を発売。「2010年に日本の物価を2分の1にする」ことを目標に据えた中内さんは、PB開発にはとくに執念を見せた。

 ここでPBについて、詳述しておくと、78年には白地にブルーの帯だけをつけた「ノーブランド」商品として食品13品目を発売。ナショナルブランドの3割安の価格を実現。80年には、「セービング」を発売。2つのプライベートブランドは、84年に「(ニュー)セービング」に統合され、92年に発売した1リットル198円のオレンジジュースは大ヒット商品になった。

 失敗も数多く、ベルギーから輸入したバーゲンブロー(発泡酒)は「330mℓ128円」という当時では破格の低価格だったにもかかわらず、強気の発注が災いして在庫を400万ケースも抱えることに。「お願い!買ってください」という新聞広告を出している。

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