オーケー、テンアライド、セコム 起業家兄弟を育てた父・飯田紋治郎の教え

2020/05/01 05:55
千田直哉

「株なんて所詮、儲からないもの」

 昭和22年、19歳だった少年は父から言われて、指示のまま株の売り買いをしていた。

  少年は、昭和20年に大日本帝国海軍の士官養成機関である海軍兵学校を卒業した。

 しかし、その後まもなく終戦を迎えた。

  なくなってしまった行くあてを探すでもなく、父の経営する酒問屋岡永商店(のちの株式会社岡永〈東京都/飯田永介社長〉)に常務として入社した。

 父は、土日以外の毎日、毎朝、まず兜町に行かせ株式の売買に携わらせた。その日の朝の相場傾向を電話で報告させると、動きを睨みながら、細かく「売りだ 買いだ」と電話で指示を出した。少年からの報告に相づちを打つだけで、何もしない日もあった。

 父の仕事を手伝いながらの兜町通いなので、リヤカーを引きながら周辺をうろつくことが多かった。道行く人たちからは、奇異な目で見られたことをいまも忘れていない。

 

  それから2年が経過した21歳のある日のこと――。

 父は少年に尋ねた。

「お前が兜町通いを始めてから何年になる?」。

2年です」。

 彼は答えた。

「それで、いくら儲かった?」。

「わずかですけど黒字です」。

「そうか。ちょうど金利くらいだな」。父は言った。

「いいか、よく覚えておけよ。株なんて所詮はこんなもん。儲からないもんなんだ。これだけ一生懸命、努力して考え、売り買いしても、銀行に預けておくのと同じくらいの稼ぎしかない。分かるか? 実業の方がよっぽどいいんだぞ」。

 父親は、少年に2年の歳月を費やして、ただそれだけのことを教えた。

 入社13年目――。

 すっかり大人になった少年は、父親から500万円を借金して、岡永商店の小売部門として食品スーパーマーケット1号店を東京都板橋区にオープンさせることを決めた。

  名前はオーケー。命名したのは父母だった。発音が簡単で世界中どこでも同じという理由から「OK」という名前にしたのだ。

 その後、彼は独立してオーケー株式会社を設立した。

  そう、この人の名前は、飯田勧。オーケーの創業者である。

 

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