最終回 ユニー“中興の祖” 家田美智雄さん、在任4年の実績と後継者選び
家田さんの実績
5年で売上2000億円増
経常利益5倍、従業員1300人減
最後に家田さんのリストラを総括したい。
家田さんが社長に復帰する前の期である1993年2月期から、5月まで社長を務めた1998年2月期の数字を比較すると、営業収益は7246億円と約2000億円増加した。一方で、在庫を10%削減、労働分配率は46%から42%に4ポイント落ちた。経常利益は32億円から141億円と4.4倍になった。従業員数は7877人から6592人に減っている。
これが数字としての家田さんのリストラの実績だ。
沈むユニーを4年間で優良企業として蘇生させた家田さんは1997年、63歳になった。その5月、51歳の佐々木孝治氏に社長の座を禅譲した。
当時、ユニーの社長の定年は65歳。「ポスト家田は誰なのか?」と盛んに噂された時期だった。
マスコミは「家田さんの後釜は不在」という論調で書きたて、このままだと65歳以降も社長をやらなければいけないと考えた。家田さんは、会社の誰もが気づかず予想さえしなかった63歳の時にいとも簡単にバトンを渡した。
「ユニー社内の人材は豊富だ。集団だとすごいパワーを発揮する。何か知らないけどワーッと集まってワーッとやってしまう。パワーというのは会社の持つ能力だと思う。『おまえら大したもんだ』といつも感心させられてきた。ただ1人1人を見る限りは傑出した人がいないように見えるのは確かだった」。
中国に「千里の馬、常に有り 馬喰【ばくろう】、常に有らず」という諺がある。
千里を駆け抜けられる馬はいつもどこかに存在するけれども、それを見出す馬喰(=伯楽)がいないから、千里馬は野に埋没してしまっているという意味だ。
「集団の中に自分に代わる優秀な人間は必ず存在する。見つけられないのは自分の責任だ」ということで「千里の馬」として目を付けたのがホームセンターの「ユーホーム」を立ち上げ実績を上げた佐々木氏だった。
西川俊男名誉会長(当時)に、自分の進退と後任人事について話すと、2つ返事で快諾された。
「これまで、ずいぶんと西川さんをいじめてきたけれども、社長を譲る話をしたら、『おまえ、いいところに気づいた』と喜んでくれた。(西川さんは)さすがの人物だ、と改めて感謝した。逆にあの時に悩まれたら、私も悩んでしまったに違いないから」。
交代の2週間前に佐々木孝治氏を呼び出した。
「お茶を飲め」と勧め、「実はお前に(社長を)やって欲しい」と言った。佐々木氏はカムリを振って固辞したが、「機密事項は聞いたら終わりだ」とドスをきかせ、「(辞退するなら)会社におれんよ」と退路を断たせた。
「俺は火消し人足で火事がなければ呼んでもらえなかった。けれども、お前は火事の前に呼んでもらえたのだからいいじゃないか」と口説いた。
「家田さんは不思議な人です。話しをする前は緊張するんですけど、喋っていると安心するんです。『次期社長だ』と言われた時には『難しそうだな』とためらい、断りました。しかし、家田さんの話を聞いているうちに『これならやれるかな』と思い込めるようになりました。それでお引き受けすることにしたのです」(佐々木氏)。
佐々木氏と社長の間には9人の役員がおり、この人事は後に“佐々木跳び”と呼ばれた。
そんな経緯で、平成9年(1997年)5月。佐々木氏は代表取締役社長、家田さんは代表取締役会長に就任する。
これにて家田さん流ユニーのリストラは完成に至った。 -了-