#7 北海道のスーパー「3極寡占化」がもたらした「新北海道価格」のご利益
北海道現象から20年。経済疲弊の地で、いまなお革新的なチェーンストアがどんどん生まれ、成長を続けている。その理由を追うとともに、新たな北海道発の流通の旗手たちに迫る連載、題して「新・北海道現象の深層」。第7回は、かつては小売価格が不当に割高だった北海道において、スーパーマーケットが「3極寡占化」したことによって、3極の小売価格が下がり「新北海道価格」が誕生することになります。なぜ3極寡占化で価格が下がったのか、そのメカニズムに迫ります。
かつて「北海道価格」と言えば、不当に高いことを意味していた
北海道を代表する食品スーパー、ラルズ(現アークス)の横山清社長は1997年、自社の低価格路線を「新北海道価格」と名付け、「北海道で最も安い価格体系を実現する」と宣言しました。
本連載の2回目で紹介したように60年代の北海道は「北海道価格」と呼ばれる高物価が常態化していました。当時は生活物資の大半を本州の工場に依存していたため、メーカーの言い値で輸送費や寒冷対策の経費などが上乗せされ、割高な価格が形成されていったのです。
65年にコープさっぽろが発足し、チェーンストア経営に取り組む以前の北海道の小売業者はこうした構図に抵抗するどころか、便乗値上げするありさまで、政府が問題視するほどでした。
「札幌の野菜や魚は異常に高い。北海道の冬野菜(タマネギ、ニンジン、長ネギ、キャベツなど)の小売価格は東京より28%、仙台より47%も高い。この場合、卸売価格はさして差がないのに、小売価格だけが異常に高いところに問題がある」。63年6月25日の閣議で、当時の川島正次郎・行政管理庁長官がこう報告したのです。
冬場の野菜の値上がりは、当時の北海道の消費者がみな頭を痛めていた問題です。地物野菜の供給が途切れる厳冬期は、はるばる本州から野菜を運ぶため、価格が割高になる-。道民はそう理解させられ、「冬野菜=高価格」という図式が刷り込まれていました。
ところが、それは小売業者が価格をつり上げるための方便であったことを、川島氏は暴露したわけです。「北海道価格」とは、北海道の小売業者の意識がいかに低かったかを象徴する言葉でもあったと言えるでしょう。
横山氏の命名した「新北海道価格」には、こうした歴史的な経緯を意識し、小売業者の手でどこよりも安い価格を実現してみせるという決意が込められていました。