#5 ユニー“中興の祖” 家田美智雄さん、「躓きのアピタ」を立て直す
家田さんが臨店に力を入れる理由
こうしたリストラを断行しながら、家田さんが力を入れていたのは臨店(店回り)だ。単身でふらっとどこの店舗にも、新幹線の自由席で移動して突然現れ、①店はキレイか? ②余計な在庫はないか? をチェックした。
それ以前に、家田さんは全店長を集め、「店舗はきれいにしておけよ。せめて俺が行った時くらいはきれいにしておけよ。でもいついくかわからないぞ」と公言している。
だから、臨店を受けた店長は、「今日来るとは思わなかった」では済まされない。売場の状態が悪ければ、文句や小言を連発され、口汚くののしられる。
突然の臨店を嫌った店長たちは、電話を使ったネットワークを生み出し対抗した。「いま金沢文庫店(神奈川県)を出たところだから、次は日吉店(神奈川県)辺りに顔を出すだろう」といった情報が家田さんを送った店舗発で飛び交った。
ところが、こうした動きを察知した家田さんは裏をかき、掛川店(静岡県)に突如として現れる――。
ふいを突かれた店長は白旗を上げるしかなかった。
こんな攻防を繰り返すうちに、店長たちは、臨店を予測して、泥縄的に店舗を装うことをバカらしく思うようになった。
そこで開店時と15時に店内清掃、開店前に店外清掃とスケジュール化をするようになり、常日頃からいつ臨店されても問題のないような店舗管理をするようになっていった。
家田さんは、臨店の際には、店長と直接会話する。その際には、何か心に残る言葉を残し去っていく。「四角い部屋を丸く掃いて掃除をした気になるな」と言われて愕然とさせられたと証言する店長もいた。
家田さんは、現場を回ることで心の部分も含めた店長教育を施した。店長たちは家田さんから学んだことを副店長、チーフからパート、アルバイトに落とし込んでいく。全従業員の意識が変わっていく。
臨店をしていると見えてくる問題点もある。
たとえば、家田さんが社長に就任するまで、物流業者の店舗への納品は15時までと決まっていた。すると物流業者は時間を厳守するために、ユニーだけの荷物を積んで配送せざるをえなくなり、トラックの積載効率は著しく落ち、それが物流費に転嫁されコストアップにつながった。それを営業時間中はいつでも荷受け可能とした。
検収するのは、店長や副店長も含め、手の空いている従業員。1店舗×店数分のコストを削減することができるようになった。
とにかくがむしゃらに働いた。
しかし、家田さんが社長就任1年目で迎えた1994年2月期決算は惨憺たるものだった。売上高こそ5570億円と対前期比1.3%の微増となったが、当期損失94億9800万円とユニー史上初の赤字決算を喫してしまう。
競争激化と老朽化によって稼ぎ頭であった築10年クラスの店舗の収益性が低下したことと、高額投資型の「アピタ」「生活創庫」の低収益性にあった。
だが、この決算に落胆した社員は、もはや1人もいなかった。家田さんの諸策と自分たちの頑張りでユニーが再生の道をたどり始めていると感じ始めていたからだ。