#5 ユニー“中興の祖” 家田美智雄さん、「躓きのアピタ」を立て直す
家田さん異例の「現行不一致」
ところが商売というのは分からない。
1993年10月、アピタ港店を開けてみると、家田さんの予想は大きく外れた。
スタートダッシュを決めると騎虎之勢を保ったまま売上を積み重ね、翌94年度(1995年2月期)には約145億円を売り上げ、あれよあれよという間にユニーの1番店になってしまったのだ。
アピタ港店の快進撃を目の当たりにして、遂に家田さんは決意する。
「やっぱり、『アピタ』は投資が大きすぎただけだ。小さな投資で利益が出るなら『アピタ』でいい」。
家田さんは、「言行一致を貫く」と従業員からの評価を受けていたが、この時だけは前言を撤回し、豹変したのである。
家田さんは「アピタ」の再開については、「私は変節漢で人の意見でコロコロ変わる」と自虐的に話していたが、見方を変えれば頑固さと柔軟さが同居していたともいえる。
ただ、外装のトリコロールカラーについては、いつまでも理解できなかった。
でも、「お客さまは低投資の広く安い店舗だけでは面白みがないのだろう。お客さまは常に正しい」と思い直し、「売れるのならば、この色を塗れ」と、以後、墓標とまでバカにしたどぎつい原色が「アピタ」の標準外装になった。
こうして復活が決まった「アピタ」――。その改革の要諦は、投資額をいかに落とすかの1点のみだ。
そこで何にカネを使っているのかを改めて調べた。
すると、塗り天井や豪華な照明というムダが見えてきた。「上を見て店内を歩くのは同業者くらいしかいない」という理由から、この2つは大幅に削減している。
一方で、お客は商品と下を見て店内を回遊するものだから「床だけは奢【おご】れ!」と指示を出した。
家田さんの語録に「経費はすべてが悪なのではない。余計な経費は使うな」とあるが、まさにその具体例といえよう。
出店に関する大小の投資額削減を積み重ねた結果、「アピタ」の1坪当たり投資額はピークの140万円から60万円と半分以下になった。その結果、家田さんが開業させた「アピタ」は、長くても3年間で黒字転換を果たすことができるようになった。