追悼 平和堂 夏原平和会長 生前語った「流通業に対する思い」

2021/12/21 10:28
千田 直哉 (編集局 局長)
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困難な状況でも必死にやれば何とかなる

――組織を動かすのに必要なリーダーシップはどのように学んだのですか?

夏原 その時々の仕事の中で、徐々に学んでいきました。実は、子供のころはとても引っ込み思案でした。大学生になっても同じような性格のままでした。それが海外旅行を経験したことで変化したのです。

さらに入社し、すぐに渥美俊一先生が主宰する日本リテイリングセンター(東京都)へ出向したことが大きかったように思います。社長だった父が「1年で3年間分の流通の勉強ができる」と聞いて、お願いしたようです。

――日本リテイリングセンターではどんな日々を過ごしましたか。

夏原 雑用を含めた全般をお手伝いしていました。セミナーの運営や講師の調整、資料整理などいろいろとやりました。当時、渥美先生は40代と若く、よく怒られ怖かったことを覚えています(笑)。私を含めて同期入社は5人いましたが、私以外は全員やめてしまった。

――夏原さんはなぜやめなかったのですか。

夏原 正直な話、何度もやめたいと思いました。けれども、ここでやめたら今後、平和堂の従業員が日本リテイリングセンターのセミナーを受けに来られないだろうと考えました。1年間と期間が決まっていたことも励みになり、踏みとどまりました。

しかし、人間万事塞翁が馬でいいこともありました。同期が全員やめていったため、渥美先生のすべてのセミナーを聴講でき、大変な勉強になったのです。セミナーの会場係の時には、500人ほどの受講者を前に司会をすることもありました。人前で話しても顔が赤くならなくなりました。私にとっては海外旅行と日本リテイリングセンターでの経験はとても大きかったですね。

――さて、現在は経営者の立場ですが、これまでで最大のピンチは何ですか。

夏原 バブル経済が崩壊した後です。まだ社長に就任してから数年しか経たない頃で、どうしたらいいかも分からずとてもつらかったですね。それまで売上が伸びることを前提に事業展開していましたが、その常識が通用しない事態が突然訪れました。経常利益が84億円とこれまでで最高益を更新したと喜んでいたら、その3年後には42億円と、あっという間にピーク時の半分になってしまいました。本当に焦りました。

故夏原平次郎会長(当時)ともずいぶん議論し、意見の食い違いから、よく言い争いになりました。その時は、何度も会社をやめようと思いました(笑)。

しかし多くの社員のことを考えるととてもそんなことはできないと反省し、もう一度、仕事に向き合いました。その結果、困難な状況でも一生懸命にやれば何とかなるものだと自信が持てました。現在、リーマン・ショックの影響で景気が低迷していますが、その時の経験は相当活きています、慌てることなく早めに対策を打ち、売上や利益の落ち込みを最小限に抑えています。

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記事執筆者

千田 直哉 / 株式会社ダイヤモンド・リテイルメディア 編集局 局長

東京都生まれ。1992年ダイヤモンド・フリードマン社(現:ダイヤモンド・リテイルメディア)入社。『チェーンストアエイジ』誌編集記者、『ゼネラルマーチャンダイザー』誌副編集長、『ダイヤモンド ホームセンター』誌編集長を経て、2008年、『チェーンストアエイジ』誌編集長就任。2015年、『ダイヤモンド・ドラッグストア』誌編集長(兼任)就任。2016年、編集局局長就任(現任)。現在に至る。
※2015年4月、『チェーンストアエイジ』誌は『ダイヤモンド・チェーンストア』誌に誌名を変更。

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