酒井真弓のDXトレンド最前線、ベイシアグループを変えた人的資本経営

ノンフィクションライター:酒井真弓
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採用こそ最重要ミッション

 次に、採用。樋口氏は多いときで1日10通のレジュメを読むこともあるそうだ。採用にコミットするようになったきっかけは、Googleの元CEO エリック・シュミットの著書『How Google Works:私たちの働き方とマネジメント』を読んだこと。Google共同創業者の二人が採用を自分たちの最重要ミッションとしてきたことを知り、自分も覚悟を決めたという。

 AIやクラウドに注目していたとしても、Googleの「Duet AI」や「Vertex AI」の使い方まで語れる経営者はそうはいない。だが、樋口氏は一次面接でそこまで切り込んでくるから、エンジニアも目の色が変わるという。

 もう1つ、技術がわかる経営者だからこそできることがある。たとえば、これまでクラウドの運用に従事してきたエンジニアは、レジュメや面接でそれに関する経験やスキルをアピールするだろう。しかし、よくよく聞いてみると実はクラウドのデータレイクにも詳しくて、「このままクラウド運用チームに配属するより、AI専門チームでデータサイエンティストと一緒に仕事をするほうが伸びるのでは」という発想に至ることもあるという。

 組織を俯瞰(ふかん)できる経営者だからこそ、エンジニア本人すら気づいていない可能性を見いだし、時には新しいポジションを用意することもできる。

 「その人のスキルを1つに決めつけないこと。柔軟な視点でスキルセットを見ることで、人を中心に組織をダイナミックに変えられるようになる」(樋口氏)。

給与体系だけでは不十分

 小売業界でも一部で「エンジニアに特化した給与体系を設けるべきでは」という議論が始まっている。だが樋口氏は、「給与だけで関心を持ってもらえる時代ではない」と断言する。

 「一次面接から自分が出て行くようになって実感しているのは、会社に魅力があれば、給与がどこまで上がるかは気にしなくなるということです。逆に言えば、魅力が伝わっていないから、エンジニアも給与でしか判断できなくなる。今の環境よりよいと感じてもらえたら、給与が少ししか上がらないとしても、ここで働きたいと言ってもらえるのです」。

 それでも大幅な給与アップにこだわるエンジニアはいるだろう。そんなとき樋口氏は、「経営視点とは何か」という話をするという。

 ITに1億円使うとしたら、店舗は何億円売らないといけないと思いますか?――当然すぐにはピンとこないだろう。質問を変えて、営業利益率が5%の会社で1億円のコストは、何億円の売上に相当すると思いますか?――5%割り戻す=20倍にするということだから、20億円。つまり、1億円の利益を得るには、20億円売り上げなければならない。

 「経営視点がない場合、ITで使う1億円と、店舗がつくった1億円が同じ1億円だと気づかない。インフレに電気代や輸送費の高騰、ヒーヒー言いながら必死に積み上げた1億円です。自分の給与だけを主語に語ることは、組織で働く上でナンセンスだと気づいてほしいのです。もちろん普通は気づいているし、そこまでストレートには言いません」。

仲間をリスペクト誇りを持って働く

 最後に、育成。

 22年春には、デジタル人材育成の場として「ベイシアグループデジタルアカデミー」を開講し、グループのビジネス部門とIT部門が一体となって学んでいる。ポイントは、参加を挙手制にしたこと。意欲の高いメンバーが学びをグループ各社に持ち帰り、変革の中心人物となることで、ボトムアップモードが生まれた。めざすは、多様なスキルや専門性を持つメンバーが融合して価値を生み出す「フュージョンチーム」だ。

 「まずは『ビジネスが上、ITは下請け』という先入観を取り払い、対等に議論できる組織にすること。その上で、『AIを使ってこんなことを一緒にやってみない?』という会話が生まれ、さらによいものが出来上がっていくという流れを実践しています」(樋口氏)。

 フュージョンチームは、互いの素晴らしさに気づくことでさらに強くなる。「うちにはこんなに優秀なエンジニアがいるんだ」と感じてもらえたらしめたもの。「ちなみにこんなことはできる?」と相談し合えるようになれば、さらにレバレッジが効く。樋口氏は、「人的資本経営において最も重要なのは、仲間をリスペクトし、一人ひとりが誇りを持って働けるようにすること」と結んだ。

 血の通った人間の営みである以上、DXも本質は同じ。あなたの会社はどうだろうか。

酒井真弓(さかい・まゆみ)
●ノンフィクションライター。IT系ニュースサイトのアイティメディア(株)で情報システム部、イベント企画を経て、2018年フリーに転向。広報、イベント企画、コミュニティ運営、イベントや動画等のファシリテーターとして活動しながら、民間企業から行政まで取材・記事執筆に奔走している。日本初Google Cloud公式エンタープライズユーザー会「Jagu’e’r(ジャガー)」のアンバサダー。著書に『なぜ九州のホームセンターが国内有数のDX企業になれたか』(ダイヤモンド社)、『ルポ 日本のDX最前線』 (集英社インターナショナル) など

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