ユニクロと中国企業が追い詰めた商社のOEMビジネス それでも商社は死なない理由とは

河合 拓
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Nikada/istock
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 イギリス領である香港は、資本主義国家として資本主義国との自由に貿易ができると同時に、中国広東省トンガン地区(繊維縫製工場クラスター)との窓口であり、比較的自由に中国と物流と商流が組める。つまり、香港を通せば、中国の奥地にある安い労働力を自由に使うことができた。当然、韓国、台湾などでも生産をしていたが、それら国の人件費はどんどん上がっており、その一方で中国という巨大な国のリソースは無限大だった。奥へ、奥へと行けば安い労働力はいくらでもあり、「世界の工場」として君臨。香港は香港で、「戦略的中間国家(実際は地域)」として、大きく経済発展していった。そうしたなか日本の縫製工場は、日本を捨て、香港で起業をしていった。「日本人は海外でマネタイズするのが苦手」という論調は嘘で、当時のは侍(さむらい)は世界に打って出ていったのである

 中国生産は、アパレルと商社に大きな利益をもたらした。当時、マーケットは「DCブーム」で、日本人がアパレル製品を百貨店で高額で買ってくれた。そのため、日本の商社は「百貨店アパレル」に集中し、最高利益を更新し続けた。

 当時、貿易は難解な業務だったということも商社の参入障壁となった。各国は外貨(=ドル通貨)を稼ぐため、日本では外為法という日本円の厳しい管理があった。私は、もともと貿易がやりたくて商社に入ったので、誰にも負けないほど勉強し、国際間取引や為替取引を導入し、次々とOEM生産と三国間取引や四国間取引など、極めて難解な実務を組み合わせた取引を実現していった。例えば、イタリアから素材を中国の工場に投入し、委託加工して輸入する取引を組み立てた。例えば、アルパカは、日本から飛行機でいけば一週間以上かかる南米から、三国間取引で世界の工場に自由に投入していった。

  当時、米国有名ブランドが香港に置いた支店が作ったものを一目見ただけで、商社マンは、「どこの国の素材か」「どのように作ったのか」を言い当て、その商品の1/3FOB価格で供給するほど、商社の「グローバル最適調達」は凄まじかった。製品の松竹梅とブランドの顔が持つ匂いで、適切な素材、適切な産地、適切な生産工場を選び、活用することができたのである。

 

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