年間120万本! 成城石井「プレミアムチーズケーキ」を生んだパティシエ4年の信念

2020/10/20 05:55
上阪徹 ブックライター

店頭の取扱い商品では群を抜くスーパー、成城石井。「スーパー冬の時代」と言われる中でも、この10年で店舗数は3倍。年商は2倍にまでなった。この成長を支えるのが品揃えを担うバイヤー、そして商品開発担当者だ。人気商品の買い付け、開発にはどんな経緯があったのか。上阪徹氏の「世界の果てまで、買い付けに。」からその一部を全3回にわたって紹介する。3回目は年間120万本を売り上げる「プレミアムチーズケーキ」。商品として世に出るまでは4年の月日を要した。開発したパティシエの思いとは。

成城石井では自社開発のデザートも売りの一つ。年間120万本を売るプレミアムチーズケーキは、パティシエが温め続けた渾身のアイデアだった
成城石井では自社開発のデザートも売りの一つ。年間120万本を売るプレミアムチーズケーキは、パティシエが温め続けた渾身のアイデアだった

まずは、信頼を醸成していく時間が必要だった

 成城石井の看板商品、といっても過言ではない。年間120万本以上を売り上げる、ダントツの人気ナンバーワン商品が「プレミアムチーズケーキ」だ。

 土台は素朴でナチュラルな甘さのスポンジ生地。その上にクリームチーズ層、最上部にサクサクしたシュトロイゼルがのせられ、ローストしたアーモンドとレーズンが味にアクセントをつける。

 それぞれの味わいと食感のコントラストが絶妙で、ボリュームもたっぷりの大きさ。まさに、食べ始めたら止まらない、とリピーターになる人が今も続出している。

 登場したのは、2003年。このプレミアムチーズケーキを開発したのが、セントラルキッチン菓子グループ長のパティシエ、光野正三だ。

「どのケーキ屋さんに行っても、レストランにしても、ここはこれだよ、という顔となるメニューがありますよね。スペシャリテと言いますか、入社したときから、それを作りたいとずっと思っていたんです」

 父親もパティシエだった光野は10代からこの世界に入り、15年間、いろいろなところで働いていた。ウエディングケーキを専門で作っていた時期もあれば、卸の会社にいたこともある。あの有名店マキシムドパリで働いて時期もある。そして1998年、前職のケーキ店から成城石井に転じた。

「たいていできないことはないくらいの懐の深さだけはあったと思います。縁あって成城石井に行くことに決めたんですが、スーパーマーケットでお菓子を作るためにケーキ店を辞めるなんて、と驚かれましたね」

 ちょうど近くに成城石井ができ、興味を持っていた。

「何より、お客さまの多さでした。それだけたくさんの人に買っていただけるチャンスがあるということ。それとやっぱり、本物の店だと思いましたよね。お店に並んでいる商品のアイテム数も圧倒的で。それこそ食材が足りないというと、成城石井のお店で買い足したりしていましたから」

 だが、成城石井のデザートはまだ黎明期だった。そもそもスーパーである。ケーキを買うことを目的に、来客があるわけではない。必要なことは、成城石井のデザートを手に取ってもらう信頼のベースを作ることだと感じた。

「最初の1、2年は本当にオーソドックスなプリン類やカップのスイーツなど、徐々にアイテムを増やしていきました」

 加えて、まだ店舗数も少なかっただけに、いろいろな企画を思い切ってやらせてもらったという。

「ホールのクリスマスケーキを作ったり、タルトを作ったり。遠慮せずに3000円、2000円という価格にしてもいいと言われて」

 本当に自由にやらせてもらった、という。

「コストを意識して何かを削ったり、何かを妥協したり、どこかで流行っているからやってほしいと言われたり、もっと安い物にできないかとお願いされたり。こういうことは絶対にありませんでしたね。いい意味でのぶつかり合いはあっても、マイナスにするような動きはなかった」

 成城石井のお菓子はこういう味だという骨格のようなものを、会社全体で作っていこうという空気があった。そんな中で「スフレチーズケーキ」などのヒット商品が生まれていく。

「やっぱりそういう時間が必要なんですよ。信頼を醸成するような時間。それがないところでまったく新しいものを出したとしても、埋もれてしまいかねない。その気持ちは最初から持っていましたね」

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