「ダイソー」創業者・矢野博丈さんが「会社は潰れるもの」と考えて経営にあたった真意
「会社は潰れるもの」を一時でも忘れた自身を責める
ところが今から20年間ほど前から数年間にわたって「大創産業は倒産しないんじゃないかな」と考えるようになった。2010年ごろには売上3500億円規模、世界に3000店舗を展開するようになったのだから、決して慢心ではなく、当然と言えば当然。矢野さんは社内に向かっても辛辣な言葉を使うことがなくなっていった。
しかし気がつき後ろを見れば、キャンドゥ、セリアなど同業他社の激しい追い上げを食らっていた。商品、店舗、見せ方…どれをとっても自社に遜色を感じた。
「まずい。このままでは5年先に大創産業は存在しないだろう」。
「会社は潰れるもの」ということを一時でも忘れた自分を責めた。
冷静になってみれば、時代は大きく変わっていた。にもかかわらず、大創産業は、同じ商いを続けていたことに気付いた。
「過去に成功したビジネスモデルはもう古い。時代が変化しているのだから、企業のビジネスモデルも変える必要がある」。
大きく反省し、遅れながらも手を打った。
本部隣接地に1000坪確保していた商談スペースを取りつぶし、若手社員や女性社員にどんどん重要な仕事を任せた。
そうしているうちに出てきたひとつの結論が2011年9月にオープンした広島市内にあるダイソー広島段原SC店だ。「ダイソーJapan」という新業態で売場面積は596坪。既存店舗との大きな違いは、コンビニエンスストア化にあった。
「これまで100円ショップの楽しみは、『こんなものがある!』という「探す」ことにあった。しかし100円ショップが生活に定着した現在は、どこに何があるかが瞬時に分からなければいけない。ショートタイムショッピングが求められている」。
こうした考え方から、主通路を広く取り、売場表示を分かりやすくし、単品を大量に陳列して売場にコンビニエンス性を持たせた。
また、ビジュアルマーチャンダイジングにも力を注ぎ、什器を変え、棚の裏側にバックライトを組み込むことで商品を浮き上がらせた。
商品開発手法も大きく変え、新しいカテゴリーへの取り組みを進めるとともに、従来の機能重視にデザイン性やカラーコーディネート性を加味した。ファンシー文具やおしゃれなマグカップ、ネクタイなどハイセンスの商品が並ぶようになった。
「ハロウィン」「クリスマス」「バレンタインデー」などにはシーズン売場を催事スペースで大きく展開して、購買意欲をあおる。
過去のダイソーから決別し、ひとつのかたちになったダイソー広島段原SC店を見ながら、矢野社長は「助かった」と胸をなでおろしたのだという。