イオンの“農耕民族的”M&Aによるドラッグストア経営統合劇、この先に待ち受けるのは?

いちよし経済研究所:柳平孝
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株式の大量買い付けを契機とした「業界再編」

 小売業界では、歴史的に株式の大量買い付けを契機とした「業界再編」が起きてきた。代表的な事例の1つがバブル期の1988年~90年における不動産会社・秀和(現在は解散)による小売企業の株式買い占め騒動である。

 秀和に株式を大量保有された小売企業は、忠実屋(90年12月時点の保有比率33.9%)、マルエツ(同24.9%)、いなげや(同25.2%)、長崎屋(同17.6%)、伊勢丹(同25.3%)、松坂屋(同15.6%)などがあげられる。秀和は大量の株式保有を交渉材料として、忠実屋といなげや、長崎屋などに対して合併による業界再編を要求し、ダイエーや西友などの当時の大手流通企業に対抗する新たな勢力形成を提案している。

 この構想は各社の強固な反対で頓挫。一方、百貨店企業の株式取得に関しては、百貨店が都心の一等地に店舗を有していることから、地価高騰を背景とした土地の含み益に着目した株式取得と推察されている。

 90年代に入り、秀和事件は急速に収束に向かう。90年以降の高金利・不動産価格の下落・不動産融資の総量規制などを背景として、不動産企業である秀和の経営が悪化し、株式売却による現金化・負債返済の必要が生じたためである。

ツルハドラッグの店舗看板

結果的に業界再編と経営改革が進む

 秀和による株式買い占めは2パターンの結末をもたらしたと考えられる。

 第1に大規模な業界再編である。忠実屋とマルエツの株式はダイエーがTOB(株式公開買い付け)の実施によって取得している(91年~92年)。いなげやの株式は(秀和による長期保有の後)イオンが取得している(02年)。

 第2にメインバンクが仲介するかたちでの親密企業や取引先による株式買い取りと経営改革(創業家支配からの脱却)である。伊勢丹・松坂屋・長崎屋は各々のメインバンクが協力する一方で、各社の創業家は経営から退くことを余儀なくされた。

 秀和の株式買い占め事件では、経営改革の要求(他社との合併要求を含む)と土地の含み益への着目などの点で、現在のアクティビストの要求と共通点が見られる。結果として業界再編と経営改革の契機ともなっており、小売企業にとってアクティビスト事案の始祖的な事例かもしれない。

 00年代後半、百貨店業界において“同時多発”業界再編が起きた。具体的には、07年9月設立のJ.フロントリテイリング(=大丸+松坂屋)、07年10月設立のエイチ・ツー・オー リテイリング(=阪急百貨店+阪神百貨店)、08年4月設立の三越伊勢丹ホールディングス(=三越+伊勢丹)である。07年秋~08年春の実質約半年間で大規模な業界再編が相次いだかたちである。

 当時の百貨店業界の再編においては、売上高1兆円規模(の経営体力)が意識されつつも、株式市場からの圧力(一部の株式買い占め勢力からの企業防衛)などが強く影響していたと言われている。すなわち、00年代の地価上昇を背景として、百貨店企業の土地の含み益が再び注目され、アクティビストを名乗る投資家が百貨店企業をターゲットにしたためだ。経営陣に対する資産の有効活用を求めるプレッシャーは、保守的な百貨店企業の経営者に対して大同団結の意思決定をもたらすに至る。

 上記を踏まえると、株式市場(アクティビスト、投資ファンド)からの圧力がDgS業界の再編に向かってきたことは明白だ。DgS業界では上位集中が進み、大手同士が競合する局面に入っているためだ。一方、DgS企業の経営陣が自ら意思決定するとは限らない。こうした状況下、バブル期の秀和の如く、株式の大量保有を足掛かりとしてDgS企業に他社との経営統合を迫る投資家が現れたことは歴史の必然と言えよう。そして、その株式を買い取るのは、流通大手や同業大手なのである。

 ここで、秀和に株式を大量保有されたいなげやの事例を見てみよう。秀和に保有されていたいなげや株式(26.1%)が動いたのは02年5月であった。いなげや側の抵抗もあったが、イオンは15%を保有する(04年4月)。そして、19年半後の23年11月、イオンはいなげや株式の51%を保有し、連結子会社とする。さらに24年11月、イオン傘下のユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングスと経営統合する予定となっている。ここにおいて、イオンが構想していたマルエツ・カスミ・いなげやの「首都圏SM連合」が完成する。

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