素人コメンテーターについて

2010/01/03 00:00
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 素人コメンテーターの評論に辟易とさせられている。

 タレントや弁護士、企業のトップや元スポーツ選手を集めてきて、時事問題を解説させる。

 素人の着眼点には、確かに素朴さがあり、手あかにまみれていない発想は、時にプロの切れ味よりも鋭く、事の本質をつくことがある。「岡目八目」とはよく言ったものだ。

 ところが、素人衆は、レギュラーコメンテーターとして出演を3カ月も続けるうちに、馬脚を現すようになる。

 もともとは、「自分は何も知らない」というところからスタートしているので、謙虚さもあるのだろうが、3か月も過ぎるとまるでプロ気取り。しかし、根はやっぱり素人であり、専門の勉強もしていないから、次第に的を外しまくるようになるか、プロの評論家や新聞雑誌の受け売りに徹するようになり、薬にも毒にもならないようなくだらないコメントを垂れ流すようになる。

 作家の藤原新也さんが「資本主義社会における消費者は自分を王様と勘違いしているようなところがある。子供の時からメディアに浸っているので、寝転びながら他人の評論ばかりしている。しかも、その刃が自分に向けられることは一向にない」と書いていたのを思い出す。

 まあ、赤ちょうちんで酒の肴に内輪で評論している分には、他人に迷惑をかけるわけでなし、まったく構わないだろう。ブログの独りよがりの評論もこれまたよし。読みたくない読者は来なくなるだけだ。

 いまや、日本は「1億総評論家」なのである。

 しかし、マスメディアを通じてとなると話は別だ。

 山頭火の読んだ「分け入っても分け入っても青い山」はプロフェッショナルだからこそ抱える苦悩の表れだ。仏教用語の「無限後退」は、やればやるほどだめになっていくという意味だ。

 そのマイナス要因に引きずられることなく、同じ場で糊口をしのぎ、評論するに足る常識と良識を持ち、常に素人的な視点も持ち続けられる者こそが真のプロフェッショナルだろう。

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