ユニクロに学べ!肩書きや年齢に関わらず叱られる・意見されることの大切さ
もうかれこれ25年ほど前なのでとうに時効の話だ。ある小売業の取引先会が開かれ、卸売企業の社長が締めの挨拶に立った。「えー、経済状況が悪化しており、いまや企業は厳しい“リラスト”を実行しなければいけません」。一瞬、会場に失笑が沸き起こった。会場の誰もが、”リストラ”と”リラスト”を単純に言い間違えたと考えたからだ。

“リストラ”を“リラスト”…記憶違いが招いた悲劇
卸売業社長は続けた。「リラストしなければならない企業はバブル期に放漫経営してきたからであり、そのツケを払っているのであります」。
こうなるともう目も当てられない。社長は“リストラ”のことを“リラスト”と確信していたのだ。彼はその後も、4度にわたって“リラスト”と言い続けたけれども、側近を含め誰も止めに入ることができず、“痛い”姿をさらしながら、颯爽と降壇した。
同じような話としては、大物演歌歌手の故村田英雄さんがスナックに行って、「俺のボルトを出せ!」と言ったというエピソードがあるが、これはビートたけしさんのネタのひとつだ。しかし、こちらはビジネスシーン、しかも参加者全員が注目する締めの言葉。取引先会の会長兼卸売業の社長なのである。
お気の毒というほかに適当な言葉が見当たらないが、こんなことがなぜ起こってしまうかと推測してみれば、1つには“リストラ”を“リラスト”という誤った単語として記憶してしまったからなのだろう。語源に戻って、「リ・ストラクチャリング」、つまりストラクチャリング(=構築)をし直すこと、と短縮せずに覚えていればあるいは言い間違えから逃れることができたかもしれない。
と言ったところで後の祭りだ。この小っ恥ずかしい話から何を学べるかと言えば、記憶違いや言い間違いは、肩書きなど関係なく誰にでも起こり得るということだ。だから側近の方たちも含め、その時に備え、危機管理策を用意しておく必要がある。