過去の成功体験にすがった「末路」 老舗スーパー「やまと」経営が失敗した理由

2020/10/16 05:57
    やまと元社長 小林久
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    創業105年、山梨の老舗スーパーとして全国的にも知られた「やまと」が2017年に経営破綻した。家庭で不要になったレジ袋の買い取り、移動スーパー、ホームレスを正社員として採用するなど数々の奇抜手もあり、地域土着スーパーとして多くのメディアにも注目された。そのやまとが、なぜ倒産せざるを得なかったのか。19年に破産手続きを終えた元社長の小林久氏は著書「続・こうして店は潰れた」のなかで、5つの理由をあげている。上では過剰ともいえる「地域貢献」が飛躍的に売上に結びつかなかったことについて触れたが、下では運転資金に関する失敗を振り返る。

    スーパーやまとはなぜ倒産したのか。そこには経営者誰もが直面する資金繰りに関する読み違いがあった
    スーパーやまとはなぜ倒産したのか。そこには経営者誰もが直面する資金繰りに関する読み違いがあった(Axel Bueckert/iStock)

     

    倒産した理由③日銭商売のやり繰りに甘え改革が遅れた

     第3に、社内に財務の専門家を置かず、日銭商売のやり繰りに甘えて抜本的な改革が遅 れたこと。「下手な男より女のほうが役に立つ」 。そんな言葉を耳にすることもある。

     やまとの本部には、会議と商談時を除いて男性は私だけしかいなかった。来訪者にいつも指摘され、そこでこの言葉が登場する。やまとの男性幹部社員はすべて複数の部門の責任者であり、各店を巡回して指導するスーパーバイザーでもあった。その負担と貢献度はとても大きなものだったといまさらながら感謝する。

     私も毎日店舗を巡回していたので、留守のことが多かった。総務は実の妹に任せ、経理 も契約社員の女性が日々入力作業をしていた。事務処理も3名の女性社員、残りはチラシ制作の女性パート3名。ほとんどの来客にお茶出しはさせず、仕事に専念してもらう。そのため社長室には自分で買った小さい缶コーヒーの箱が常備されていた。早く飲み終わるし、そのまま持ち帰ってもらえるからだ。今でも常温の微糖缶コーヒーが好きなのは、その名残りである。

     彼女たちは完全週休二日制、残業なし。朝9時に本部が開き、午後5時には施錠される。その後は静かな本部で私が夜まで次のアイデアに知恵を絞る。このメンバーで、最盛 期年商64億円の事務作業を回していた。

     入力の済んだ会計帳簿を翌月顧問税理士に見てもらい、営業成績が確定する。私が見るのは「売上高・利益率・利益額・最終利益額」 、この程度だった。どんぶり勘定でも社長にとっては最終利益額だけが重要であり、店舗別や野菜や魚などの部門別成績はすべて担当責任者に任せていた。

     調子のいい時期はこれでもいいが、いったん業績が落ち出すと、何が原因なのか、どうすればいいのか、何から始めたらいいのかがわからない。やまとはポイントカードの分析もしていなかったし、ボランタリーチェーンの傘下でもなければ、日頃お世話になっているコンサルタントもいない。ええ格好しいの社長は弱みを見せたくなくないので、人には相談しないのだ。

     これでは決断が遅れるのも当然である。売上は加速度を増して降下していく。先代から付き合いのあったメインバンクの地銀とは、経営改善時の「振り子返し」として融資を他の金融機関にすべて借り換えてしまった。

     困った社長は信用金庫に駆け込み、信用保証協会の枠を目いっぱいまで使って当座の運 転資金を確保する。月末の支払いに困るときは、その日に合わせて激安のチラシを打って現金を確保するなど、絵に描いたような「自転車操業」である。何が「大丈夫、心配ない、なんとかなる!」だ。偉そうに言っても神風なんか吹かない。すぐに資金が枯渇して潰れるのがオチだ。「大丈夫、心配ない、なんともならないから!」

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