#5 ユニー“中興の祖” 家田美智雄さん、「躓きのアピタ」を立て直す
高額家賃のテコ入れで、最も儲かる店に
家田さんは、出店政策の柱に再び「アピタ」を据え、1994年から1996年の3年間で30店舗を開業させた。
なぜこの時期に大量出店したのかと言えば、現場に異動させた700人の余剰人員の受け皿作りのためだ。「アピタ」の大量出店は、ユニーの営業力強化につながった。
その一方では、「アピタ」以外の既存店舗にも手を入れた。
たとえば、開店から20年が経過した、かつてのユニーの一番店、ユニー一宮店(愛知県)だ。もはや栄光の日々は昔話でしかなく、年間の投資回収率は19%と極端に生産性の低い店舗になっていた。
犯人はその高額な家賃だった。
「大家さんの言い値を払っているから家賃が高くなる。どうしても欲しい骨董品と一緒で、そうなると相場の10倍も支払わなければいけなくなる」。
撤退を前提に大家と粘り強く交渉をし、何とか家賃の値下げにこぎつけた。そこで大型リニューアルを実施した結果、売上のみならず、テナント収入も上がり、ユニー一宮店は同社でもっとも利益の上がる店舗として復活を遂げた。

リニューアルは、一宮店のような大掛かりなものばかりではない。
家田さんは、本部を小さくしたことにともない、店長に多くの裁量権をわたしている。最も驚くのは、稟議書なしで店長に100万円の決裁権を与えたことだ。自分の決済で現金100万円を使えるということは、現場視点での小さなリニューアルを促進し、店長のコスト意識を高め、責任感を育んだ。
たとえば、ユニー豊田元町店だ。ここの店長は、100万円を蛍光灯交換に当てた。
このころ、既存店舗の蛍光灯は3年に1回替えることが通例になっていた。しかし店長が異動着任した1993年7月は2年6か月目に当たる時期。売上が前年に届かない理由の1つを薄暗い店内にあると考えていただけに、「どうしても明るくしたい」と見積もりを取ってみた。
その額は、原材料費100万円、人件費100万円の合計200万円。そこで、営業時間中のアイドルタイムを利用して従業員が手作業で蛍光灯替えると、わずか1週間で全店内を交換することができた。
店舗を明るくなるように改装すると、店長の読み通り、売上は上昇カーブに転じた。
“背広族”が闊歩していた新店やリニューアルオープンの光景も随分変わっていった。
家田さんが来てからというもの、新しい店舗が開業するに際しては、本部勤務の者は留守番の数名を残して、職位を問わず基本的に売場応援に入った。家田さんは「立っている者は親でも使っている」と豪語した。
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