社史に刻まれなかったユニ・チャームの挑戦とは?
「社史には本当に大事なことは刻まれていないかもしれない」と力を込めるのはユニ・チャーム(東京都/高原豪久社長)の二神軍平元副社長だ。1961年に大成化工㈱として創業されたユニ・チャームの最大の転機は、ある大手製薬メーカーにOEM(相手ブランドでの商品製造)供給していた生理用品の取引をやめたことなのだという。

大きな賭けに挑んだユニ・チャームの決断
「大変、大きな賭けに打って出たと言っても過言ではありません。売上の大半を占めていたOEM供給をストップして、ナショナルブランド1本に注力することはリスクしかなかった。なにしろ代替の売上の見込みがつかないんだから……」と二神さん。
ところが同社の社史には、「建材→女性→乳児→ペット→介護」というマーケティングの変遷や新技術開発などのイノベーションの変遷はしっかり刻まれているものの、大変な決定を下した、この事実には触れられていない。
「決断に至るまでに創業者の故・高原慶一朗さんがどんなことを考え、どんな逡巡があったのかを伝えることが本当の社史だと思う」と二神さん。
「実は、多くの企業にそういう陽の目を見ない重要な社史があるのでは……」と問うている。