「不要論」跋扈の登録販売者、その誕生秘話

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一般用医薬品(OTC)の販売を担う登録販売者(登販)制度の新設は、実は画期的な制度改正だった。議論が行われていた当時は、独占権を持つ薬剤師会からの反発、思惑が錯綜した薬種商、また新設を切望していたドラッグストア(DgS)業界など、調整は一筋縄ではいかなかった。今回は登販が誕生した経緯について振り返る。
本稿は全6回からなる短期集中連載「忍び寄る登録販売者『不要論』」の第4回です。

katleho Seisa/iStock

登販制度誕生は薬剤師不在問題がきっかけ

 話は1998年秋、25年前に遡る。

 NHKが突如、「DgSの5店に1店は薬剤師が不在」と報じた。「DgSには薬剤師がいない」「薬剤師の名義貸しが横行している」などといった調査報道を繰り返したのだ。薬剤師不在問題の始まりだった。スクープ報道の2日後には、首都圏1都5県の自治体がDgS店舗へ一斉立ち入り検査を実施。1カ月後にはDgS店舗の「30%で薬剤師が不在」と調査結果を公表した。さらにその1カ月後、厚生省(当時)は医薬安全局長名で「開店中の薬剤師の常駐配置」徹底を通達。完全にDgSをターゲットにした問題提起だった。

 対してDgS業界は爆発寸前。それまで統一の業界団体が存在しなかったなかで1999年6月、162社が団結し日本チェーンドラッグストア協会(JACDS)を設立した。初代会長に就いたマツモトキヨシ(千葉県)の松本南海雄氏は、薬剤師不在問題を最重要課題に掲げ、行政との対決姿勢を鮮明に打ち出した。この時の薬事法では、薬剤師が店舗を「実地に管理する」といった規定のみで、すべてのOTCを常に薬剤師が販売しなければならないという「法的根拠がない」と訴えたのだ。

 一方、行政側も一歩も引かなかった。厚生省は薬剤師の勤務実態の確認を促し、改善されない店舗には行政処分を下すと告知。処分までの概要図まで全国の自治体に示した。それに従って、各都道府県も指導を徹底。行政対JACDSの戦いは数年間続くこととなる。

 2003年には、ディスカウントストアのドン・キホーテ(東京都)がOTCの「テレビ電話販売」で規制緩和に揺さ振りをかけ、当時の石原慎太郎都知事がドン・キホーテを支持するなど、薬剤師不在問題はターニングポイントを迎えた。そこに登場したのが厚生省キャリア官僚のエースと目されていた阿曽沼慎司氏だった(後に事務次官に就任)。阿曽沼氏は医薬安全局長に就任すると、2004年5月に厚生科学審議会に医薬品販売制度改正検討部会を設置。医師会や薬剤師会の代表、有識者に加え、敵対していたJACDS代表や、サリドマイド被害者を委員に抜擢した。薬事法大改正に「本気」で乗り出したのだった。

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