北海道現象から20年。経済疲弊の地で、いまなお革新的なチェーンストアがどんどん生まれ、成長を続けている。その理由を追うとともに、新たな北海道発の流通の旗手たちに迫る連載、題して「新・北海道現象の深層」。第4回は、ドラッグストア業界に焦点をあてる。ツルハホールディングスはなぜ圧倒的な規模拡大を実現できたのか、そして1強が北海道市場を制覇していたにも関わらず、アインホールディングスとサツドラホールディングスの2社は、成長、そして飛躍のステージへと進むことができたのだろうか?
ドラッグストアの「王道」歩む、盤石のツルハ
余裕のコメントといったところでしょう。ツルハホールディングスが2019年5月期連結決算で売上高7824億円と過去最高を更新し、初めてドラッグストア業界首位に立ちました。決算発表の記者会見で感想を問われた鶴羽順専務が「素直にうれしい部分はあるが、まあ一時的なことと理解しております」と涼しい顔を見せていたのが印象的でした。
北海道に登記上の本店を置く小売企業で、「業界最大手」(業態別売上高トップ)の座に就くのは、家具・インテリアのニトリホールディングス、調剤薬局のアインホールディングスに次いで3社目。ホーマック(現・DCMホーマック)と本州2社の統合で誕生したホームセンターのDCMホールディングスを含め、小売4業態の国内トップを道産子企業が占めたことになります。
ドラッグストア業界では現在、ココカラファインを軸にした有力企業間の再編話が浮上しており、ツルハHDの首位が「一時的なこと」との言葉に謙遜はないでしょう。同時に、売上高ランキングの変動に一喜一憂する必要のない磐石な経営への自信もうかがえます。
ツルハは「ドラッグストアの王道」を歩んできた企業と言えるでしょう。もとは旭川で代々続く個人経営の薬局でしたが、1962年、当時大学生だった鶴羽樹会長が下宿先の大阪で見つけたセルフ方式の薬局をヒントに「ドラッグストア」という新業態の可能性を追求し始めました。
札幌に進出し「クスリのツルハ」の名が知られ始めた85年、同社は50店に達したばかりの店舗数をいきなり1000店に引き上げる目標を打ち上げました。当時、社外はもちろん、社員ですら本気にせず、ただの「大言壮語」と受け取られたようです。
しかし「北海道現象」の名付け親である鈴木孝之・プリモリサーチジャパン代表は、このような構想の大きさこそ、成功している北海道発小売企業の共通点と指摘しています。
連載の1回目で述べたように、広大で人口密度の低い北海道は本来、小売業に向かない市場です。「他の地域の企業は一つのエリアを制してから、外の市場に目を向けるが、北海道の経営者は初めから外を意識した経営をせざるを得ない。肥沃ではない北海道市場にとどまっていては、成長が止まってしまう危機感があるからです」(鈴木氏)
これはオランダから、フィリップス、ロイヤルダッチ・シェル、ING、KLMなど数々の世界的企業が生まれてきた構図と酷似しています。オランダは北海道のほぼ半分の面積に、わずか1500万人の人口しかいない小国です。これらの企業は英国、フランス、ドイツなど周辺の大国に打って出ることを最初から意識し、大企業に育っていきました。
規模拡大で得られた、“高粗利”というご利益
ツルハが掲げた1000店という数字にも単なる「大きな目標」以上の意味合いがありました。「メーカーとの価格交渉力を付け、質の高いプライベートブランド(PB)をつくるために必要な規模」という意識です。事実、07年にくすりの福太郎(千葉県鎌ケ谷市)を買収し、グループ店舗数が700店規模に近付いたあたりから、ツルハのPBの商品力は飛躍的に高まっていきました。
それ以前のツルハは、生活用品の価格を下げて集客力を高め、粗利の高い医薬品で稼いでいましたが、医薬品の価格自体は決して安くなかった。それが2000年代半ばごろには、ツルハでナショナルブランド(NB)の医薬品を買い求めようとすると、薬剤師から同じ効能で価格の安いPBを勧められることが増えました。特定のNBによほどの思い入れがない限り、お客は喜んで安価なPBを選びます。ツルハにとってもPBの方がNB以上に粗利を取れるのです。こうして顧客とWIN-WINの関係ができれば、あとは加速度的に競争力が高まる一方です。
12年に目標の1000店を達成したツルハHDは、杏林堂薬局(浜松市)などの買収を経て18年には店舗数を2000店台に載せました。創業時から現金商売を基本とし、財務基盤の強固なツルハHDはM&A(合併・買収)でも優位な立場にあり、今後も業界トップを争い続けていくことは間違いないでしょう。
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ドラッグストアとも百貨店とも競合しないアインズ&トルぺ
脱・競争で勝ち上がったアインホールディングス
ところで、「北海道現象」とは、不況が厳しくなるほどトップ企業が同業態の2番手以下の企業から客を奪っていく「独り勝ち現象」である-と連載1回目で説明しました。それでは、2番手以下の企業が生き残るには、どのような企業行動を取るべきなのでしょうか。その具体例を示したのがアインHDです。
先に述べたように、ツルハHDはナンバーワンにふさわしく「ドラッグストアの王道」を行く企業です。住宅街や郊外に広めの店を構え、PBを中心に安くて商品力の高い医薬品と日用品、加工食品を豊富に取り揃えているのが特徴です。
アインHDは調剤薬局の国内トップ企業ですが、ことドラッグストア事業に関しては「ナンバーツーの流儀」に徹してきました。それは「ツルハとは戦わない」という戦略です。ツルハが出店しない都会の繁華街に的を絞った業態-。それが02年10月、札幌・大通の地下街に出店した「アインズ&トルペ」の1号店でした。
アインズ&トルペは医薬品も扱ってはいますが、中核を占めるのは化粧品と雑貨です。化粧品は従来、百貨店ブランドと大衆ブランドが明確に分かれていましたが、アインズ&トルペは、その中間の「準百貨店ブランド」と言うべき位置づけであり、おしゃれで値ごろ感のある商品群が若い女性たちに支持されるようになっていきます。
03年には東京・原宿に進出。一見難しそうに見える出店地ですが、大谷喜一社長は「他社と競争しない済む場所を選んだ結果だった」と言います。確かに周囲を見ても、競合しそうな店舗は存在しません。
かつてのドラッグストアと言えば、商品を歩道にはみ出して陳列する粗野なイメージが強く、ファッショナブルな原宿のテナントビルからは敬遠されるケースが多かったそうです。その点、王道ドラッグストアと競争しないことを意図してコンセプトが組み立てられたアインズ&トルペは、店舗の外装や包装用紙袋のデザインが凝っていて、高級ブランドのショップと並んでも違和感がありません。
アインズ&トルペの出店を始めたころ、見学に来たドラッグストア業界の関係者が「これは化粧品店だ」と言い、百貨店の化粧品担当者は「面白いドラッグストアですね」と言った。「どちらにも競争相手と見なされていないと分かった時、成功を確信した」。大谷社長はそう振り返っています。
今やアインズ&トルペは、唯一無二の「化粧品のセレクトショップ」と若者らに認識され、都市部の百貨店、テナントビル、ホテルなどから引く手あまたの状態です。銀座、新宿、八重洲、渋谷など都心の超一等地に次々と進出する原点は「脱・競争」にありました。
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第3のドラッグストア企業、サツドラが見つけた金城湯地
第3の企業、サツドラが見つけた金城湯池
こうして郊外がツルハ、都市部がアインという棲み分けが出来上がった中で、試行錯誤を強いられたのが、北海道第3の企業、サツドラホールディングスでした。一時は食品の品ぞろえを拡充し、バラエティストアのような方向性に進んだものの、うまくいきません。
そのサツドラは2010年代に入り、ついに金城湯池を見つけます。12年末に発足した第2次安倍政権が実施したビザ緩和によって爆発的に増えたインバウンド向けの店舗です。
中国人観光客が、安くて上質な日本製の医薬品や化粧品、健康食品を買い求めるため、ドラッグストアに行列をつくることは以前からよく知られていました。これに狙いを定め、免税対応、日英中3か国語の商品表示、中国語を話せるスタッフ常駐、Wi-Fi完備-といった機能を備えた店を、15年から、道内の観光地や温泉街、空港など訪日客の集まりやすい場所に出店し始めたのです。
そして、インバウンド需要に狙いを徹することで、以前は考えられなかった道外進出のチャンスを得ます。16年1月の道外1号店として沖縄県豊見城市のショッピングモールに進出、同年11月には上野アメ横付近に東京1号店を出しました。昨年には京都・清水寺付近にも出店するなど、道外の店は二けたを数えるまでになっています。
「独り勝ち」から変わってきたのが新・北海道現象
過酷な北海道市場ではたった一つの経営判断の誤りが、致命傷になりかねません。例えばアインHDには、かつてホームセンターや家電量販に進出し、失敗した苦い経験がありました。これらの負債を整理し、再出発しようとしたまさにその時、北海道拓殖銀行が破綻し、一時は、文字通り生死をさまよう状態にまで追い込まれたのです。
その後、アインやサツドラが、それぞれの個性を磨き、ツルハと顧客が重ならない工夫を続けてきたのは、肥沃ではない北海道市場でナンバーワン企業に無謀な競争を挑み、消耗する恐ろしさを経営者たちがよく自覚しているからでしょう。
面白いのは、そうして各々が個性を際立たせてきた結果、今では首都・東京で、北海道のドラッグストア3社がそろい踏みを果たしているという事実です。「北海道現象」から20年。その影響が全国に及ぶ中で、当時の「独り勝ち現象」とは異なる新たな潮流が見え始めています。