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小売業受難の2022年なのに、百貨店の株価が高騰する理由とは

今年2月初頭に寄稿した際、筆者は「今年インフレ率の上昇に賃金の上昇が追いつくかが小売業界の最大の鍵になる」と述べました。
そしてその後の展開は筆者の警戒をさらに強める形になっています。食品・生活用品メーカーによる積極的な値上げ姿勢、ウクライナ情勢悪化によるエネルギー価格の上昇、円安の進行など、物価騰勢が一段と強まる展開になりました。一方、賃上げについてはもう少しデータを眺める必要があるものの、それに前向きな大企業はともかく、中小企業を含めた日本全体で物価騰勢に見合う賃上げがすぐに実現することは難しい気がします。消費者全体の実質購買力に下方圧力がかかることは免れられないと思います。
そうしたなか、イオンのプライベートブランド(PB)価格据え置き宣言にあるように小売事業者の生き残りをかけた競争は激化に向かい、仕入れ価格の上昇を販売価格へ十分に転化することはままならない状態に陥りそうです。さらに小売企業自体の人件費等の経費にも相応の上昇圧力がかかりマージンを圧迫しそうです。小売事業者は新たな(形の)収益源として広告収入に期待を持つかもしれませんが、これを実現するには消費者に対して直接太いパイプをデジタルで確立している必要があります。小売事業者全体を潤すには時期尚早でしょう。
この環境下で、2022年の小売業界の変化の諸相と小売業への評価を確認した上で、全く異なる評価をされている百貨店について解説していきたいと思います。

2022年は小売業受難の年

コスモス薬品の外観
2022年の小売業は、インフレ圧力が高まるなか、価格競争力が強い小売業に注目が集まっている

 2022年は小売企業、小売株には受難の年になりそうです。

 元々日本の小売業の多くは輸入依存度が高く、円高局面では製造小売業がシェアを伸ばしてきました。一方、円安局面では仕入れ価格の高騰とオーバーストアによる競争の厳しさで、小売企業は押し並べて苦労をしてきました。

 ただし、海外展開で成果を出せば、海外の売上利益の成長が国内の停滞を補い結果として業績・株価を牽引します。2010年代、中国、東アジアの成長を追い風に、ファーストリテイリングや良品計画が大きく業績を伸ばしたことは記憶に新しいと思います。

 しかし今回の円安局面では、海外に救いを求めることも難しくなりました。特に中国の経済成長が鈍化していること、既に中国進出を果たした企業では浸透率が高まった結果、マクロ成長の鈍化の影響を受けやすくなってきたことが底流にあります。

 さらに中国ではコロナウイルス対応による断続的な大都市のロックダウンが続いており、Eコマースが浸透しているとはいえ、リアル店舗において一定のマイナス影響は不可避と思われます。

しかもこの結果、日本におけるインバウンド消費の復活も遠のいてしまいました。

 日本国内では徐々に行動制限が緩和されると思いますが、同時にモノからコトへの消費対象のシフトが予想され、物販業にとっては決して楽観できる状況とは言えません。

 実際、2021年12月末から2022年4月5日までの株価を見ると、ファーストリテイリング、イオン、ニトリホールディングス、ZOZO、ウエルシアホールディングス、コスモス薬品、ツルハホールディングス、ローソン、ワークマン、良品計画などの株価が下落しています。上昇したのはセブン&アイ・ホールディングス(百貨店事業のスピンオフ期待と北米投資拡大)、パン・パシフィック・インターナショナル・ホールディングス(国内ディスカウント事業の底入れの兆し)、マツキヨココカラ&カンパニー、丸井グループ、サンドラッグ、しまむらなどで、時価総額上位企業に限れば少数派に括られます。

気を吐く百貨店株

(i-stock/winhorse)

 そのような中で株価が気を吐いているのが百貨店株です。

 三越伊勢丹ホールディングスは昨年末比+15%上昇、J. フロントリテイリング▲4%下落、高島屋+10%上昇になり、総じて健闘しています。特に気になるのが三越伊勢丹で、株価はコロナ禍直前の2019年12月末とほぼ同水準にあります

 確かに日本でのコロナ禍はワクチン接種の浸透と治療薬の普及で行動制限が緩和に向かい事業環境は好転しました。インバウンドの復活はまだ先になりそうですが、百貨店は最悪期をひとまず脱したように思います。

 百貨店の場合、マクロ環境が追い風ではなくても、コスト削減と得意客に対する深掘りを効率的に両立できれば業績を伸ばせます。これも株価を下支えしていると考えられます。

 そこで今回は百貨店の株価の回復の背景を少し整理してみたいと思います。

三越伊勢丹ホールディングスの株価上昇要因は?

 三越伊勢丹ホールディングスは2021年3月期に営業赤字▲209億円(日本基準)を計上しましたが、2022年3月期にはいって収益がボトムアウトしており、通期営業利益の会社計画は30億円とされています。これは販売管理費における経費構造改革を進めるなかで、総額売上高が回復することが効いています。市場コンセンサスを眺めると、2023年3月期の営業利益予想は195億円程度、これは2020年3月期を上回り、2019年3月期の水準の3分の2の水準です。株価が2019年末の水準まで回復してきたことは、同社の経費改革と採算改善に対する期待の高さがうかがえます。

 次に、同社の中長期的な方向性を統合報告書2021で確認しておきましょう。

 経営戦略の概要は「お客さまのお困りごとを感動的に解決し、お客さまの関心ごとを革新的に提案する」という百貨店改革を通じて、「お客さまの暮らしを豊かにす“特別な”百貨店を中核とした小売グループを目指」すこととのことです。

 計数面では、3年後の2025年3月期の営業利益目標を350億円(内訳は百貨店事業220億円、不動産事業70億円、金融事業49億円)、10年後の営業利益を500億円レベル(内訳は百貨店事業225億円、不動産事業150億円、金融事業100億円)と描いており、百貨店の再生フェーズ→連邦経営による展開フェーズ→まちづくりによる結実フェーズというステップを設定しています。不動産開発は2025年3月期以降に本格投資を進める模様です。

 具体的な戦略については統合報告書をはじめとした開示資料をご覧いただくとして、当座の3年間は本業である百貨店事業の再構築に力を入れること、そのためには主力店舗の個性を明確にし、外商を強化し、個客管理の徹底、固定費の削減を進めることが主軸に置かれています。

 筆者の見立てでは、いずれかの時点で新宿伊勢丹、日本橋三越の建屋に手を加える時がくるということでしょう。主力店舗の再開発に取り掛かっても、物理的「売場」の減少の影響を最小限にとどめることができる体質になることが、同社の最大の課題だと思います。得意客の開拓と深掘りができるか否かで、新宿・日本橋の街づくりへの関与が変わり、同社の収益アップポテンシャルおよび収益の安定性が規定されていきます。当座の3年間はこのように本業である百貨店事業の売上・利益の「質」が注目されることになります。現在は商品調達、CRMの双方でデジタル・トランスフォーメーション(DX)を実装するには最適なタイミングだと思います。このチャンスを活かしきることができるでしょうか。

J.フロントリテイリングの株価上昇要因とは

写真は神戸店
 三越伊勢丹は3年後以降に不動産開発を本格化するのに対して、J.フロントリテイリングはパルコの取り込みや松坂屋からGINZA SIXへの業態変換が象徴するように業態変革について一歩先んじていると考えますが、その業績と中期展望はどうでしょう。
 まず足もとの業績ですが、2021年2月期(IFRS)に事業利益23億円、営業赤字▲242億円を計上しましたが、2022年2月期は事業利益115億円、営業利益92億円で着地した模様です。三越伊勢丹ホールディングス同様、百貨店事業における高額品の好調、増収とコスト抑制が主に効いている模様です。アナリスト予想の平均値を見ると2023年2月期の営業利益は270億円程度でV字回復が続きそうです。しかし三越伊勢丹と比較すると利益回復のペースが鈍く、これが同社の株価が三越伊勢丹と比べていまひとつである背景だと思います。

 次に、同社の中長期的な方向性を統合報告書2021で確認しておきましょう。

 経営戦略の概要は「くらしの『あたらしい幸せ』を発明する」を基本的なビジョンとし、向こう三年でまずは収益力の「完全復活」を実現し、その後デベロッパー事業と決済・金融事業の比重を高めつつ、「こころ豊かなライフスタイルをプロデュースし、地域と共生する個性的な街づくりを行う企業グループ」へ発展させるという目論みです。

 同社は3年後の2024年2月期の営業利益目標を403億円(内訳は百貨店事業229億円、SC事業100億円、デベロッパー事業44億円、決済・金融事業24億円)、2031年2月期の営業利益を800億円レベル(内訳は百貨店事業+SC事業480億円、デベロッパー事業+決済・金融事業等320億円)と描いています。

 具体的な戦略については統合報告書をはじめとした開示資料をご覧いただくとして、当座の3年間は、リアル店舗を基軸に据えた「リアル×デジタル戦略」「プライムライフ戦略」「デベロッパー戦略」が主軸になります。さらに固定費の削減と経営指標としてROIC(投下資本利益率)を導入することによる資産効率管理を進めることになります。なお、デベロッパー事業の注力エリアは栄(名古屋市)と心斎橋(大阪市)となり、収益への明確な寄与は(三越伊勢丹ホールディングス同様)、現在の三か年の中期計画のあとになる模様です。

先行するJ.フロントリテイリングが示す深い“悩み”

 いかがでしょうか。
 このところ百貨店株がしっかりしているのは、①コスト構造改革を進めるなかで、ポストコロナ禍に入り人流の回復で売上高が回復し、業績改善が加速的に進む期待が強まっていること、②新富裕層の台頭やデジタル技術の普及という機を生かしてインフレ下でも購買力が強い顧客層へのアプローチを強化できそうなことになると筆者は考えます。

 また長期戦略の方向感についても市場が納得感を持っていると思われます。少子高齢化、リモートワーク定着、SDGsに対する意識の高まりにより、アパレルの大量消費が望みにくくなりました。そこで、外商とデジタル技術で販売力を強化する、金融の深掘りと不動産の高度利用によって収益基盤の多様化をさらにすすめて、パンデミックなどに対するレジリエンス(回復力)を強靱化するという点がこの2社の戦略に共通して見られます。従来の延長線上にあると言えなくもないですが、事業環境からみて理にかなうものとして評価されているのでしょう
 さて、今回2社の統合報告書を眺めながら感じたことがあります。筆者の理解では、J.フロントリテイリングの方が三越伊勢丹ホールディングスよりもポスト百貨店モデルの模索という点で先行しており、コロナ禍でも相対的にレジレントだったと筆者は感じていましたが、その同社がコロナ禍であらわになった経営課題について、統合報告書の中で深い自省をしているのです。

 例えば、「コロナの“気づき”をどう活かすか」という記述では、ビジネスモデルの脆弱性、都心立地の優位性への懸念、デジタル対応への遅れ、事業ポートフォリオのレジリエンス不足、人と人とのコミュニケーションの重要性、安全・安心への配慮の再認識、あらゆるステークホルダーへの目配りについて深い洞察が示されています。また、「コロナが迫る、百貨店ビジネスモデルの転換加速」という記述には事業変革の緊急性が強く打ち出されています。

 こうした記述は同社の実直さを示すとも言えますし、ポスト百貨店を模索し続ける同社の先行性をアピールするものともみなせます。さらに同社の現在の長期的戦略の方向性を正当化する意味もあるでしょう。筆者は総じて好意的に読み込みましたが、しかしコロナ禍で人流が減り、インバウンドが消失し、リモートワークの浸透で都心立地オフィスも安泰とは言えないという現実を見た経営陣の苦悩の深さも伝わってきます。

今後の外商の役割は、富裕層の動産管理、アドバイザーか

最後になりますが、2社の資料を眺めながら気になったのは、高額品の販売が好調な点です。ここでいう高額品とは、時計・宝飾・ラグジュアリーブランド・現代アートを指すようです。

この背景には、円安進行を見越した輸入高額品への需要の高まりがあるのでしょう。しかしそれにとどまらず、ひょっとすると、富裕層がインフレ到来を見越して、高額品の動産に分散投資することでインフレヘッジやリスク分散を進めているのかもしれません。そうであれば、今後の外商のあるべき姿は、動産の管理・アドバイザーなのかもしれません。目配りを続けたいと思います。

 

プロフィール
椎名則夫(しいな・のりお)
都市銀行で証券運用・融資に従事したのち、米系資産運用会社の調査部で日本企業の投資調査を行う(担当業界は中小型株全般、ヘルスケア、保険、通信、インターネットなど)。
米系証券会社のリスク管理部門(株式・クレジット等)を経て、独立系投資調査会社に所属し小売セクターを中心にアナリスト業務に携わっていた。シカゴ大学MBA、CFA日本証券アナリスト協会検定会員。マサチューセッツ州立大学MBA講師