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第2回

2012年3月28日

東京で受けた第一報

吉田 芳弘

いつも通りの日常のはずが

 

ウジエスーパー取締役
吉田芳弘 よしだ・よしひろ
大学卒業後リクルート入社、平成16年からウジエスーパー勤務。 現在、総務・人事・広報の他に、障害者特例子会社を経営している。 東北経済産業局農商工連携伝道師など、公職多数。

 その日、3月11日の早朝、私は、仙台駅の新幹線ホームにいた。当社は、宮城県ではまだ珍しい障害者特例子会社を運営しており、その関係で、障害者特例子会社全国連絡会に出席するためである。隣には、妻がいた。東京に住んでいる長男に初孫ができたので、私の東京出張に合わせ、二人で孫の顔を見に行くことにしたのだ。

 

 東京についたら、私はそのまま仕事に行き、妻は埼玉県の親戚の家で所用を済ませ、お互い用が済んだたら都内のどこかで落ちあって、北区に住んでいる長男の家に行く手はずだった。結果的に、この選択が後々にいろいろなことにつながっていくのだが、このときの私は知る由もない。

 

 さて、東京駅につくと、予定通り私たちはいったん別れ、私はそのまま、大手町で行われている連絡会の会場まで歩いて向かった。

 

 新幹線に乗ってしまえば、仙台から東京駅まで2時間である。それに、東京には都合30年住んでいたこともあって、出張に来た気がしない。実際、いつも通り、朝起きて、普通に出社するように家を出て、午前中には仕事に取り掛かっている。まったくいつも通りの日常である。

 

震災2日前のできごと

 

 何事もなく粛々と連絡会の日程が進められ、冒頭に厚生労働省主催の講演が1時間ほどあって、それが終わって一息ついた14時26分、事態は一変する。携帯電話から緊急地震速報を知らせる警告音が“プルプル”と鳴ったかと思うと、「なんだ?」と思う間もなく、次の瞬間、激しい揺れが襲った。

 

 慌てて机の下にもぐる人、悲鳴を上げる人もいる。会場は一時騒然となった。

 

 その瞬間、私は何を思ったかというと、実は「宮城が危ない」ということだった。というのも、すでに知られているように、震災2日前の9日、ほぼ同じ震源域で震度5弱の揺れが宮城県を襲っていた。これが後に、3.11の前震だったことがわかるのだが、その当時はもちろんそんなことはわからない。

 

 ただ私は、9日に現地で実際に揺れを体感し、「なんて気持ちの悪い揺れだろう」と感じていた。震度5前後の地震は、宮城では珍しくともなんともない。けれど、このときの揺れは明らかに違った。かつて体験したことのない、なんとも言いようもない不気味な揺れだった。

 

 このときは、とくに被害らしい被害もなく、心配した津波警報も発令されず、ことなきを得たものの、ずっとひっかかっていた。それが、あの日の揺れを2日後の11日、東京で再び感じ、「この揺れは、2日前のあれと同じだ」と直感的に感じたのだ。

 

「ついにきてしまったか」天を仰ぐ

 

 すぐさま会社に電話するも、あらゆる番号が通じない。携帯電話はまったく役に立たなかった。

 

「どうか宮城ではありませんように」

 

 私はそう念じるしかなかった。

 

 しかし、そんな願いは打ち砕かれた。連絡会の会場にも情報が伝わり、「現在の地震の震源地は宮城県沖のようです」と司会者から告げられる。

 

「ついにきてしまったか」

 

 私は天を仰いだ。その時の情報では、マグニチュード7.9程度という発表で、沿岸部に津波警報が出されているというぐらいのことしかわからない。けれど、東京でさえこれだけ揺れたのだから、普通の地震ということはありえない。心配していた大震災がついにきてしまったのだと、この時点で理解した。

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