無理解の壁・中篇 GMSに翻弄されたマルエツ

柳平 孝(いちよし経済研究所)
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10数年ぶりのプロパー社長の誕生でV字回復へ

 かつてない経営危機の下、マルエツにとって歴史的な転換点が訪れる。20063月に高橋恵三氏が社長に就任したのだ。10数年ぶりのプロパー(生え抜き)社長にしてSMを熟知する経営トップの登板である。そして、就任初年度の20072月期、業績はV字回復を果たす(単体営業利益52.6億円)。業績回復の大きな要因は、仕入をダイエー経由から自社仕入に切り替えたことだ(会社側の説明では、仕入全体に占めるダイエー経由の構成比は20062月期:約70%前後→20072月期:約7%程度へ縮小)。結果、鮮度向上や原価低減、機動的な新商品投入などによって粗利益率が同1.5%ポイントの大幅改善(商品供給除く)となった 。なお既存店増収率は前期比0.3%減と横ばいだった。

 ここから、マルエツがダイエー傘下となって以降の“答え合わせ”となる。すべての起点は1995年にダイエーと商流・物流システムを統合したことに尽きる。商品・コストの両面でSMにとって非常に不具合が多かったためだ。

 商品面では、SMに適した品揃えができなくなり、営業力の大幅ダウンは避けられなかった。第一にGMSの品揃え(ダイエーの商品マスター)の中からSM向きの商品をピックアップするだけの商品選択であった。第二に新商品の導入に際しても、ダイエー商品部の許可が必要であったため、機動的な商品政策を講じることができず、かつタイミングが遅くて手遅れになっていた。第三に新規の取引はすべてダイエー経由であったため、ダイエーの中間マージンを乗せた仕入値となり、仕入原価が高止まりしていた。

 加えて、生鮮食品に関してもダイエー商品部は数量確保が至上命題であったため、鮮度と価格の優先順位は低くなりがちだった。ピーマンを例にすると、ダイエーはピーマンを高知から仕入れて全国の店舗網へトラック配送していたため、関東のマルエツ店舗では23日経過した商品が店頭に並ぶことになっていた。当然、関東の競合SMは埼玉県や千葉県の産地・市場で安くて新鮮な商品を調達しており、マルエツの競争不利は否めない。

 物流システムでも高コストであった。2005年までダイエーの流通子会社ロジワン(現イオングルーバルSCM)による配送であったが、ダイエーの全国配送網を前提にしたセンターフィーを課せられていたため、物流費用が高止まりすることなった(2006年からは13県のみのコスト負担に軽減)

 この後、マルエツは、SMに最適化した物流インフラを整備していく。2010年に横浜市と埼玉県八潮市に常温物流センターを開設、川崎市にプロセスセンター(PC)も備えた複合センターを開設する。そして2012年には埼玉県に三郷複合センターを開設し、物流インフラ面での再構築が一段落する。

 

 GMS傘下の呪縛から抜け出し、ようやくSM企業として再起動・再成長へ向けて歩み出したかに思われたが、現実はそう単純ではなかった。

 さかのぼること200610月、イオンがダイエーおよび丸紅と資本・業務提携の独占交渉権を得て、20073月、イオンとダイエー・丸紅による資本・業務提携が合意される。一連の取引の中で、ダイエーが保有するマルエツ株式(20)がイオンに譲渡されることとなった。そして、同年7月、マルエツもイオンブループおよび丸紅と業務提携する。

 2007年2月の取材ノートを見ると、マルエツ経営幹部(当時)の感じていた懸念がメモしてある。「イオンにはSM向けの情報システムがない」と。

 

 シンガーソングライターの杏里の大ヒット曲「悲しみがとまらない」(1983)を口ずさみながら、そんなことを思う今日この頃である。

編集部注 後篇では、総合スーパーの食品売場とスーパーマーケットがいかに似て非なるかを数値をベースに具体的に解説します。お楽しみに。

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