無印良品、ロフト、パルコ…セゾンを作った男、堤清二物語
百貨店で客をどかし、引かれた赤カーペットの先にいた人は

しかし、バブル崩壊によりセゾングループは、超巨額の負債を抱え、堤清二さんは1991年にグループ代表を辞任。本業の小売業回帰を図るために、多角化してきた事業を切り売りして活路を見出そうとしたが失敗。セゾングループは解体するに至った。
2000年には、保有株の処分益など私費100億円を不良債権処理に供出し話題を集めた。日本リテイリングセンターの故渥美俊一さんは、私費を投じたことを非常に高く評価した。
そして、経営の第一線を退いた後は、セゾン文化財団理事長として若手芸術家の育成に力を注ぐとともに、作家活動に専念していた。
このように年表を繰ってみると、私のダイヤモンド・リテイルメディア(当時はダイヤモンド・フリードマン社)の入社は1992年であり、堤清二さんとは入れ違いであることが明らかになる。どうりでお会いできないわけである。
ただ、実は全く違う場所で、接近遭遇したことがある。
今から31年前の1989年、秋田県の本金西武(現:西武秋田店)の階上にある秋田ビューホテルの入り口でエレベータを待っていたときのことだ。
本金西武は、秋田市の百貨店である本金と西友(東京都)の出資で設立された企業。1988年に西武百貨店の子会社になったばかりだった。
すると黒いスーツを着た2人の男が「そこをどいてください」と言う。
「お客に対して『あっちにいけ』とは失礼だなあ」と腹立たしく思っていると、2人の男は実にスピーディーに赤いカーペットを敷き始めた。
「なんだ、なんだ」と訝しがっていると、1人の小柄な男性が一瞬のうちに目の前を通り過ぎ、私が乗るはずだったエレベータに数人で乗り込んで勝手にドアを閉めてしまった。
「地元の有力者? 国会議員? 大統領?」と想像をめぐらせたが誰も思い浮かばない。
売場に立ち寄り、店の方に聞くと、「ああ、それは堤清二さんですよ。今日、いらっしゃっているはずだから」との返事――。当時の堤清二さんは、セゾングループの代表であり、グループも絶頂期。ようやく「なるほど」と合点がいった。
たぶん、側近の従業員の行き過ぎた行為であり、別に堤清二さんが指示したわけではないのだろう。
けれども、「こんな企業はダメだよなあ」と思ったら、数年を待たずに本当にダメになってしまったというのがこの話のオチである。
もっとも、 それもこれも、今となっては、懐かしい思い出である。
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