百貨店、存在の証明その3 拡大路線も今は昔、出口見えぬそごう・西武改革
「自社運営にこだわりすぎた」
セブン&アイ・ホールディングスは決算説明会において、残る10店舗のうち、そごう横浜店、西武池袋本店、「そごう千葉店」(千葉県千葉市)の損益・客数状況は良好であることを明らかにした。これは裏を返せば、これ以外の7店舗は、構造改革の余地があるとみることもできる。
さらに説明会の席上で、都市型店舗(基幹店)ではプロパティマネジメントを導入、郊外店では、プロパティマネジメントを強化していくことを明らかにしている。今後、百貨店は自営面積を減らして、“場所貸し”的な経営に転換せざるを得ないという結論になる。
「基幹店だけを残して、株価の重石になっていた不採算店を減らせばさらに評価は高まる」と前出のコンサルタントは話すが、今回のようなリストラ策が抜本的な業績改善につながるかは不透明だ。
「拡百貨店」時代も今は昔
振りかえればそごう・西武は、百貨店の多店舗展開に挑戦した企業だった。旧そごうの歴史は長いが、多店舗化に乗り出したのは日本興行銀行(現みずほ銀行)出身の水島廣雄氏が社長に就任した1962年以降のこと。わずか数店しかなったそごうの店舗展開が加速する。
「土地を担保にして新店を出しさえすれば商品は後からついてくるんですよ。銀行の評価も高まるのです」
当時、水島氏がよく語っていたビジネスモデルだ。この“水島流”の錬金術によってそごうは店舗を一気に増やしていく。西武百貨店も、「拡百貨店戦略」を掲げ、百貨店の出店競争に参戦し、店舗網を拡大していった。
こうした各社の拡大戦略は、「百貨店のカジュアル化」を進めて一時代を築き、百貨店の大衆化に成功した。だが、当時はモータリゼーションの時代。駅に近い物件に出店することが多かった百貨店は駐車場が不十分であった。アパレルメーカーとの二人三脚による売場運営という“ぬるま湯”の状況下、商品や売場の改革も遅れた。大規模な駐車場を備えた郊外型のショッピングセンターに顧客を奪われていったのが、現在まで続く百貨店不振の始まりだ。
ある小売業の幹部は「百貨店は不動産事業に思い切ってシフトするか、ネットと店舗を融合したモデルに転換するか。この2つの選択肢しか生き残りの方策はないのではないか」と話す。百貨店の存在理由を模索する動きに対する明確な解は、まだ見つかっていない。(次回に続く)