先日、あるアナリストが我が物顔で、「アパレル業界は全産業で環境破壊をしている二番目の(悪徳)産業である」と言い切り、いかにも業界経験のかけらもない素人を集め、「服を作れば大量の水を使う」「天然繊維を栽培すれば農薬で環境を破壊する」など、悪口の限りを尽くして語っていた。果たしてアパレルを悪者にすれば、環境問題は解決するのだろうか。その問題解決手法の誤謬を明らかにして、多くのアパレルが安易に誤った道に進むことを食い止めたいと思う。
日本から消えゆく繊維産業
繊維産業はいままさに日本から消えゆく地場産業である。その産業を守ることが私にとっての使命でもあるのだが、このサステナブル社会、循環型経済下において、キャピタリズム(資本主義)の非効率性と非情さを感じている。
ポートフォリオといえば格好良いが、ようは弱者切り捨ての論理である。日本では弱者に甘すぎるがゆえに、産業の新陳代謝が起きないのとは「似て非なるもの」である。後者は、金融機関が、残すべき産業かどうかを見極めることができないために、悪平等がはびこっているだけである。
例えば、私は昨今破綻した大手アパレルは既に歴史的使命は終わっていると思うし、救済の必要もなかったと思う。私なりの未来像の中に彼らの姿が見えなかったからだ。会社がなくなっても個人は生き残る。これは非情とはわけが違う
さて、話を戻す。私たちは誰も相手にしなくなった某産業を、どのように救うべきか議論をしているところだった。もちろん産業従事者達は血のにじむような努力で生きながらえていた。その議論の結論は、「安売りしかできない日本の小売に見切りをつけ、海外に活路を見出そう」というものだった。全く言語も文化も違う国に片道切符ででかけようというもので、日本で良い暮らしをし評論家ぶっている連中とは心構えも覚悟も違う。まさに生き残りのための努力をしている真っ最中なのである。
冒頭の有識人達は、そんな人たちにさえ、「現地の未就学児童をこき使っている」など、まるで人狩りのような言い方をしていたのである。
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国の成長は繊維からスタートする
国家の多くは、繊維産業から経済発展を始め、やがて金融・デジタルなど高度産業に軸足を移しGDPを押し上げる。
例えば、「 東洋のシリコンバレー」と呼ばれる深圳。私が大学を出て初めて入った商社マン時代(今から30年前)に、ボーダー(香港と中国の国境)を超えた時、お年寄りが「ぎゃー」と大きな声を立て、柄の悪い連中に棍棒で殴られていたのを目の当たりにし、どうしてよいかわからなかったことを今でも忘れない。その光景に唖然としてつっ立っている私の周りに、begger (物乞い)の子供が山のように集まり、「金をくれ」と服をすごい力で掴まれた。
ボーダー付近では、犬や猫などの生態が格安で売られていた。なんでも、香港からきた人が、ボストンバッグに犬や猫を押し込み、香港に連れ込み、香港で高く売るという説明だった。広州の工場に入るときは、さらに悲惨である。時速150キロぐらいで、ろくに舗装もされていない高速道路をかっ飛ばすタクシーに乗せられた。当時、会社からは「中国ではタクシーに乗るな、危険だ」とお達しがあったのだが、アパレルに「絶対に週末にもってこい。こなければクレームだ」と脅された私はタクシーに乗らざるをえなかった。生きた心地がしなかったことを思い出す。
あれから30年。今や深圳は、日本など遙かにしのぐスマートシティーと化し、スターバックスでMacを前に置いて、韓流ドラマに出てくるような美男美女が艶やかな装いに身を包み、軽やかに仕事をしている。 資本主義だ、共産主義だなどとわめいているのは年寄りや政治家だけで、実態は、日本の東京・青山あたりの風景となんら変わりない。経済が発展し豊かになったのである
アパレル環境破壊を食い止める結論が、なぜ草木染めなのか?
日本についても考えてみよう。映画「ああ、野麦峠」という映画では、女性の工員が過酷な労働環境のもとで絹を生産し、日本の輸出期間産業として国を大いに潤わせた。何人もの若い女性が命を落としたそうだ。いわゆる9大商社と呼ばれる大手総合商社は、ほとんどが繊維事業を生業としていることを、若い人は知らないのだろう。今の豊かさの土台には繊維産業、そして、悲しい時代があったのだ。
中国で ”UFO” という冷暖房完備の全寮制の工場では、フルラインナップ生産が可能だった。もう時効だから告白するが、当時、ゴールドマンサックスの依頼を受け、テキスタイル業界に詳しく、デューディリジェンスができるコンサルタントとして同社に足を運んだ。しかし、この工場は、ここでは書けないような闇の部分もあり結局投資は流れ、倒産した。当時、完全冷暖房、しかも個室で全寮制で食堂付きの工場などありえなかった。当然、コスト競争で負けたのだ。
「擬麻コットン」という素材がある。これは、綿花に特殊な染料を塗ることで、麻のような「シャリ感」を出す、英語で imitation ramie という。これは台湾で作られているのだが、実は、発祥は日本である。
日本ではごく一部の地域でしか生産されていないのは、この特殊染料というのが有害物質を含んでいるためだ。私は、30年前に台湾に行き、この擬麻工場を見て、垂れ流される汚染物質に吐き気を覚えたことがある。
「環境破壊をしている2番目の悪徳産業アパレル」
そのようなことをいう人たちは例外なく、「オチ」で日本の草木染め(植物染料)などの事例を出し、「このような取り組みが環境破壊を食い止める」という。
このロジックに強烈な違和感を感じないだろうか。考えて欲しい。おおよそ、地球に住む人間で「裸(はだか)」で生活している人はごく一部を除いていない。つまり、「環境破壊の分母」は地球全体の人口なのである。産業効率からいえば、飛行機や自動車産業のほうがよほど環境破壊をしているが、そういう産業は批判されない。
問題解決を訓練された人は、全人口の経済活動の話の解決案に、なぜ、far east の、さらに5%未満となった生産の、さらに田舎の産業集積地区の草木染めの事例が解決策なのかと、その論理破綻におかしさを覚えるだろう。解決策などといっても、ゼロの数が20も30も違う。百歩譲ってどうしてもアパレルを批判したいなら、なぜ、もっと大量生産をしている世界のグローバルSPAを批判をしないのか。大人の事情があるのはわかるが、これは「集団いじめ」と同じ構造ではないかと思う。
知識人、有識者達は、先にあげた擬麻のように、日本が有害物質を日本で作れないからといって海外に工場を持って行ったことを知っているのだろうか。それで、擬麻のような服は夏に着て「ファッションコーデ!」などといい、「このコットンがリサイクルでーす!」などといっているのだから失笑を超えて正視に耐えないのである。
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論理力と問題解決力に乏しい日本人
どんなものにも明暗があり、数字を自分の都合の良いように使い、勧善懲悪のような分かりやすいストーリーを作り、アパレルを「悪代官」に仕立上げて、草木染めを三つ葉葵の印籠のごとく見せる。本当に環境問題を解決したいのか、それとも流行りのアパレルいじめをしてPVを稼ぎたいのだろうか。彼らの返事はこうだった。
「数が小さいからといって、やって良いということではないでしょう。どんなに小さいことでも問題を解決しようという気持ちが大事なのではないですか」
問題解決の訓練をしていないこの手の人たちは、「必要条件」と「十分条件」の違いさえ理解できないのだ。MECE (必要十分条件)という概念は抽象度をあげて全体を網羅的につかみ、最初に叩くべきポイントを押さえる。もともと分析がMECEでないのだから、私は問題解決とはいえないといっているわけだ。
世の中には「やるべきこと」は山のようにあるが、絞り込まれたすべきことはとても少ない。私が、コンサルタントになって最初にパートナー(コンサルの最高職位)の人からいわれたのは、「河合さんのような中途入社の人は、時間は有限だが、すべきことは無限だ。だからやることを絞らないといけない」ということだった。
なんでも思いつけば、悪いことでなければやれば良いというのは、なんの戦略性もない発想である。ものごとには、そうなった歴史、および、必然性が必ずある。そして、それを改革する難しさは、そこに群がる既得権益との戦いとなり極めてタフになる。これが企業改革、そして、産業改革の最も難しいポイントだ。断っておくが、私は環境破壊や、アパレル業界の悪しき習慣、ときにルールを逸脱した商慣習に誰よりも強い批判を持ち、それを包み隠さず世に発信してきた人間である。某誌に批判されながらも3年前に二次流通を提言し、さらにその3年前に、日本のアパレルは無印良品になれ、とモノからコトへの提言をおこなってきたし、実際にプロジェクトで手がけてきた。
アパレル産業が崩壊する前に、世界に産業の模範生として、自らの判断と価値観でプライドをもって働ける産業になって欲しいと思う。
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プロフィール
河合 拓(事業再生コンサルタント/ターンアラウンドマネージャー)