#4 ユニー“中興の祖” 家田美智雄さん、社長としてユニーに復帰
稲沢への“都落ち”

子会社の社長が親会社の社長としてカムバックするサクセスストーリー。
とはいえ、家田さんをすべて社員が手放しで歓迎したわけではない。
ユーストアを創業以来14期連続で増収増益に導いた家田さんの経営手腕を評価はするものの、就任後にどんな打ち手を施すのかは不透明で社員は一様に戸惑っていたのだ。
「ユーストアで掃除をしろ、と自らもほうきを持ってうるさく言う社長がいることは知っていた。けれども、まるで別世界のように考えていた」とある社員が語っているように、16年の時を経て、小売業界の英雄はユニーの社内では忘れられた存在になっていた。
それでも半分くらいの社員はメシア(救世主)を待望するように家田さんの復帰を歓迎した。
古巣に戻ってみれば、変えなければいけないことは山ほどあった。
前提条件は、「高コスト経営はありえない」ことだ。家田さんは、胸に刻み、落下傘で乗り込んだ。
まず問題視したのは、名古屋駅前に構えていた本部と1800人に上る本部人員だった。年間6億円の家賃を支払っていた。
「本部は稲沢市に移転しよう」。家田さんは誰にも相談することなく1人で決めてしまう。
夜討ちに来た新聞記者に漏らしたら、翌日の地方版の朝刊にでかでかと書かれた。
役員たちは不安そうに「本当なんですか?」と聞きに来たけれども後の祭り。結果としてこの記事によって本社移転は全従業員に知れ渡ることになった。
稲沢市には、広大な自社保有地があり、什器備品倉庫があり、配送センターがあった。
家田さんの自宅のそばなのでちょっと顔を出してみると、倉庫には山のような什器や備品が置かれ、それらを修理しているという会社が間借りし事務所を開き、「通常なら10万円くらいかかる修理費を1万円でしているんだ」と社長がドカッと腰掛けていた。
「ああ、これじゃあダメだ」。
家田さんは、すべての什器や備品を関連する業者にタダであげてしまった。
一方、配送センターには約200人が働いており、衣料や雑貨などを扱っていた。しかし扱い金額は微々たるものだったので、すぐに専門業者への委託に切り替えた。
倉庫の面積は2000坪。余剰スペースならうなるほどあった。
家田さんは、ここに10億円を投じた。
平屋建てで全部門が一望できる本部を建て、就任半年を待たずに移転させた。名古屋駅前の賃料を考えれば2年弱で採算がとれてしまう計算だ。
ふつう、本部の移転は、「なかなかできない」というよりも「やらせてもらえない」ものである。しかし西川会長は認めた。このことを家田さんは、「我慢の西川、ヤケクソの家田」と自嘲していた。
そのころ、東京にも豪華な事務所があった。地下鉄東西線の東陽町駅から徒歩7分にある「東京イースト21」の2フロアを借りていた。そこでは「生活創庫【せいかつそうこ】」という未来型GMS(総合スーパー)も展開していた。
家田さんは、初訪問の際に「ビルの11階で富士山は見えるけど足元が見えていない」と皮肉を言い、即座に多額の違約金を支払い、撤収を決めた。
スピード感をもって撤収を決められたのは、代表取締役は家田さん1人で全権限を握っていたからだ。「改革は、やるかやらないかの選択。やらなければ意味はない」。
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