デジタル時代のリアル店舗は、商品よりも店員の「顔」が重要な理由
映画で「アップ」の演出が増えた理由
筆者は映画が好きで、1日に1本は見ている。時間がないときでも、通勤時にスマホで倍速視聴をしているくらいだ。そこで最近気になるのが、登場人物の顔がアップになる演出が多くなっている点である。これには明らかに、映画館のスクリーンやテレビからタブレットやスマホへと、視聴画面が小さくなっているという背景が指摘できる。引きの画面では細部が見られないから、意図的にアップのシーンが増えているのだ。
もう1つ理由がある。やはり人間は小さな画面でも他者の顔を眺めたいという願望があるのだ。メタバースの流行をはじめ、生活の拠点がバーチャル世界にも拡大し、「アバター」が人間の代替をするようになりつつある今日。しかし、それでもなお、俳優たちの“老い”を含め、生々しい人間の存在を感じたいというニーズは不変なのである。
これはデジタル時代における大きな逆説ではないだろうか。メタバース上のアバターがECサイトで商品を売ることに私は可能性を感じている。しかし、アバターは不変で、顧客は年をとる。この歪な関係性でもアバターが訴求力を持ち続けられるだろうか。私は、人間と同じように見た目にも年をとるアバターがあってもいいと考えているが、どうだろうか。
デジタル全盛でも人間同士の関係性は不変
やはり、人間同士のコミュニケーションの重要性は変わることがないのだ。
コロナ禍の初期、あるスーパーで、ビニールカーテンで仕切られているためにお客との意思疎通がうまくいかず、店員が殴られたというニュースがあった。店員とお客という生身の人間同士の関係性が日頃から築けていれば起きなかった事件かもしれないと思う。
今から10年以上前の話だが、私にもこんな経験がある。