#8 北海道最強スーパーの意外すぎる過去。デフレ時代に咲いた遅咲きの花、アークス

北海道新聞:浜中 淳
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アークス、バブル崩壊前後に花咲く

ラルズの名を消費者に知らしめた「ビッグハウス」1号店の太平店(札幌市北区)。ダイエーの不採算店を見事に再生した横山氏の手腕に、ダイエー創業者の中内㓛氏は「ラルズには2度と売るな」と社内に厳命したという
ラルズの名を消費者に知らしめた「ビッグハウス」1号店の太平店(札幌市北区)。ダイエーの不採算店を見事に再生した横山氏の手腕に、ダイエー創業者の中内㓛氏は「ラルズには2度と売るな」と社内に厳命したという

 境遇の差に対する悔しさ、反骨心、ひいては組織体質の決定的な違いが、直前で移籍を翻意させることになった。この選択は大正解でした。「胃に穴が開いた」ほどのぎりぎりのコスト感覚は、90年代初頭のバブル経済崩壊後に開花するのです。

 横山氏は85年、中山氏の死去に伴い、大丸スーパー社長に昇格すると、一気に多店化攻勢に出ます。89年には地場衣料品量販店の金市舘と合併して社名を「ラルズ」に変更し、コープさっぽろに次ぐ道内2番手のスーパーに浮上しました。

 横山氏が真の意味で「天下」を取るのは、創業から33年後の94年4月、ディスカウント業態「ビッグハウス」1号店の太平店(札幌市北区)を出した時だったと言えるでしょう。ダイエー子会社が売りに出した不採算店舗を安く買い取り、初期投資を切り詰め、1個よりも2個、箱買いの方が単価の安い「一物三価方式」を採用してまとめ買いを誘導。デフレ時代の消費者心理を見事につかみ、開店から2カ月で黒字転換を果たすという伝説的成功を収めました。

外敵・イオンが、アークスを飛躍させた

 これ以降、他社を圧する低価格路線で道内消費者の圧倒的な支持を得たラルズは、97年の拓銀破綻後の不況下で急成長した「北海道現象」5社の一つとして全国的な注目を集めました。対照的にバブル時代に総合スーパータイプの大型店出店を加速させるなど、拡大路線を突き進んだコープさっぽろは、「北海道現象」の陰で2度目の経営危機を迎え、いったん競争から脱落することになります。

 およそ半世紀前に北大出身の若者たちが立ち上げた二つの組織は、コインの表と裏のような関係にあるとの言い方もできます。高度成長期からバブル期にかけては、コープさっぽろの積極拡大路線が北海道流通のレベルを引き上げ、バブル崩壊後のデフレ経済の下ではラルズの低コスト、低価格路線が業界をけん引してきました。

 90年代に北海道流通の主役に躍り出たラルズは21世紀に入り、「アークス」という会社に「羽化」し、日本を代表するスーパーマーケットへと飛躍していきます。それを促したのはイオンという「外敵」の存在でした。次回はイオンが北海道市場に与えた影響を探ります。

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