「+J」の驚異 ユニクロが企む「ファッション領域」獲得戦略
11月13日の金曜日、ユニクロ公式サイトのサーバーがダウンした。おびただしい数の消費者がユニクロのサイトにアクセスしたからだ。満を辞して、9年ぶりに再販する「 + J」 販売開始日である。
ダウンしたのはサーバーだけではない。日本中のユニクロの店に人が殺到し、整理券は2時間待ち。まるでディズニーランドのようだ。旗艦店舗である銀座店では入場制限をし、100人以上が行列した店は数知れず、名古屋店ではごった返して「地獄絵図」と言われたほどだった。
この「+J」でユニクロは何を成し遂げようというのだろうか?
9年前、消えた「+J」の理由
冒頭で示したように、日本国内で大混乱を巻き起こすほど、多くの人を魅了する 「+J」とは、世界的ブランド・ジルサンダー(Jil Sander)を立ち上げたデザイナー、ジル・サンダー氏とユニクロ(UNIQLO)のコラボ商品である。
9年前、私は日本のアパレル某社が手がける「ジルサンダー」と、ユニクロの「+J」 を比較した論考を新聞紙面で掲載した。細身のシルエットとミニマリズムの極地とも言える小ぶりの襟は当時、ファッショニスタを虜にした。しかし、この「+ J」は突然、販売停止になる。私は整理に入ったディスカウント品を山のように買ったことを思い出す。静かに「+J」はその幕を閉じたかのように見えた。
当時、ファーストリテイリングは米国「バーニーズ・ニューヨーク」の買収に名乗りをあげるなど、彼らが苦手としている「ファッション領域」に意地でも食い込みたいかのように見えた。広島出身の私は、同社が中国地方で壊れた倉庫のような場所で、当時のヤンキー御用達の服だった時からユニクロを知っている。
ほんの10年ぐらい前までユニクロは「下着と家着の店」と大手アパレルから無視され続けていた。実際、フリースが大ヒットする前までの同社のテレビCMは、今のように洗練されたものでなく、「関西のおばちゃん」が下着姿で返品をするなど、自らの立ち位置を陥れていたようにおもう。しかし、その後の同社の原宿進出、禁じ手と言われた「カシミヤ」の量産を経て、世界企業の階段を登りながら、日本を代表する超優良企業に進化する過程をつぶさに見てきたが、やはり私を含めた当時からの消費者には、どこかに「所詮はスポクロ、ファミクロの延長」という意識があったことは否めない。つまり、ユニクロを見る目に、多少なりともくもりがあったわけである。
「+ J」は、9年前、ファーストリテイリングが期待する規模に達しなかったという理由で取りやめになったといわれていたが、今思えば、登場が「早すぎた」のかもしれない。
それというのも、「カジュアルチェーン」と言われていた同社はその後、ビジネススーツのエレガンス領域にでたり、岡山デニムの最高峰「カイハラ」(広島県福山市)と組んで、エルメスが10万円前後で販売しているデニムと同じ素材を使ってを5000円以下で販売するなど、名前だけでビジネスを展開してきたアパレル、海外メゾンの甘い脇をことごとく粉砕してきたからだ。
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