ヤフーZOZO買収を読む、孫正義社長は“焼け野原”ZOZOを「楽天型総合サイト」に変える
9月9日、複数のセレクトショップ、アパレルから同時に”サイトクローズ”の通知が我々消費者の元に届いた。その内容は、「システム開発遅延に伴うサイトメンテナンスの長期化」というものだった。そして、その3日後、ZOZOはヤフーとの事業提携を発表する。この2つは、何気なく我々の目の前を通り過ぎたが、この2つは全く関係ない話だろうか。あまりにタイミングが合うこの2つの出来事の裏には何かがあるというのが私の見立てだ。なお、本稿は幾ばくかの事実と私の経験から来る話を組み合わせた分析であることを最初に述べておきたい。
ZOZO離れ続出を受け、ZOZOは事業衰退期の戦略を敢行
2016年、私は、日本のアパレルに対してあらゆる場所やメディアで、ZOZOTOWNをはじめとする外部オンラインモールに出店することはテナント側(=アパレル)の顧客をモールに奪われるだけで、「やってはならない禁じ手」だと語っていた。しかし、多くのアパレルは私の助言に耳を貸さず、「売上が落ちるから」と、どんどん出店し、その結果顧客をモールに奪われていった。自社サイトにこだわっていたのはユニクロだけであった。
当時、リアル店舗の経験しか無いアパレルの人達は、ウェブを店舗の一つとしか見ていなかっため、集客力のあるオンラインモールに出店することは、「新宿伊勢丹」や「阪急百貨店」などのメガ店舗に出店することと変わらないという認識だった。しかし、リアル店舗は「距離と立地」が事業範囲と競争力を規定するのに対し、ウェブは「顧客データの質と量」が勝敗を決する。当時のアパレルはこれが分からなかったのだ。
その後、日経新聞が2018年9月9日に「Amazonとの提携は悪魔との契約」という米国の論考を発表し、日本中を震撼させた。いわゆるDeath by Amazonである。
私は、日本では埒が明かないと考え、海外で「Death by Amazon」について講演を繰り返した。https://www.youtube.com/watch?v=ULI5UDdVFok&list=PLBydvmprIrRgMenxT02eF36AT7Unf3O6A(韓国での基調講演。最後に Death by Amazonの質問のやりとりにご注目)
私の警告に耳を貸さなかったアパレルは、近視眼的に売上を追い求めZOZOなどのモールに出店し顧客を奪われ売上は急落下、逆にZOZOはますます成長していった。ユニクロがAmazonにもZOZOにも決して出店しなかったのは、顧客を奪われたくなかったためだ。戦略の差が中期的な競争力の差を広げていったのである。
しかし、米国で次々とリテーラーがAmazonの餌食となり、トイザらスやBARNEYS NY、forever21などがDeath by Amazonとなった。こうした一連の報道で流石に日本のアパレルも気づいたようで、私の助言にしっかり耳を傾けていたアパレルは水面下でゾゾグジット(ZOZOXIT、アパレル企業のZOZOからの撤退)を進めるようなった。
アパレルとZOZO間でこうした微妙な綱引きが続いた結果、ZOZOは、低価格品とクーポンを乱発するなどさらなる売上の拡大を狙ったハーベスト戦略(衰退期に入った事業において、利益の刈り取りを行う“収穫”戦略)に出た。こうした売上拡大戦略でなぜ利益が上がるかと言えば、ZOZOは、売上の30%近い家賃を取る一方で仕入れをしないからだ。つまり、叩き売りをしてでも売上を上げれば収益を拡大できるのだ。
だが、テナント側のアパレルにとってはたまったものではない。流石に、一部の優良アパレルだけは優遇された家賃を提供していた。だが、そんな高級アパレルにしても、激安ブランドが次々と出店して横比較された結果、「客寄せパンダ」となり下がり、「売上は上がるが収益は落ちる」という悪循環から逃れられないようになってきたのである。
ゾゾグジットの先陣を切ったのは、オンワード樫山だった。ZOZOとの「考え方の違い」からZOZOからの撤退を行い、これがトリガーとなり、連鎖的にゾゾグジットが拡大していったのはご存じの通りである。冒頭の話に戻ると、ZOZO売却の3日前に相次いだアパレルECの一時閉鎖は、こうした背景があると見ている。
次のページは
ZOZOスーツ失敗で得られた莫大な新規顧客とマーケティング効果