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円安と株安が「アパレルビジネス」に一切関係ない理由

3月28日、一時1ドル125円をつけるなど、円安が進行している。昨年3月の対ドル為替は106円程度だったので、1年で20円近く上がったことになる。円安になると「原料高とデフレで日本のアパレルは持たなくなる」と考えている業界関係者が多いと思うが、実はそうではない、ということについて解説したいと思う。

y-studio/istock

1ドル120円は「円安」なのだろうか?

1991年、日本のバブル経済は、私が入社した繊維商社イトマンの経営破綻とともに終焉を迎えた。当時の為替は対ドルで134.7円。日経平均株価は21000円〜27000円である。ちなみに、前年度の為替は144.8円だ。その後、為替は95年に94円の超円高を見せるも、その後の15年は110円〜130円を行き来する。私の商社マンとしての繊維・アパレルビジネスは120~5円あたりで始まり、そして終わった。

 今、日経平均は28000円で、為替はようやく120円を超えた。こうした歴史の中で世界を相手にビジネスをしてきた身からいえば、たかが120円で、「超円安、日本経済ピンチ」などと叫んでいる人を見ると、「この人は、いままでなんの仕事をしてきたのか?」と疑問を持たざるを得ない。

バブル崩壊後、一時39000円近くまで上がった株価は急落し、多くの人が職と資産を失った。ちなみにバブル期最高値は198912月末の38957円で、翌90年は年初から株価が下がり続け、同年10月には一時2万円を切る水準にまで落ち込んだ。後に「失われた30年」と呼ばれる長く暗い不況、「デフレ時代」の始まりだった。

アパレル産業で言えば「2000円スーツ」が誕生し、北京経由、北朝鮮生産という今では信じられないようなバリューチェーンと価格で衣料品が売られていた。この30年(1990年〜2020年)で、アパレルの国内生産比率は約50%から2~3%とほぼゼロの水準にまで落ち込み、さらにグローバルSPAと呼ばれる外資アパレルが日本に参入して熾烈な競争環境に陥った。アパレル市場規模は15兆円から10兆円に縮み、30%も消滅した。明らかに今より酷い状況だ。その危機をまともに受けたのは百貨店で、かつて全国に300近くあった百貨店は、今では190を切っている。

為替のアップダウンに対して商社がしてきたこととは

Liuser/istock

日銀がETF (上場投資信託)の買い支えをやっていた最近まで「為替が円安に振れれば輸出企業の商い高が増え輸出企業の株価があがる。円高になれば、日本のバイイングパワーが高まり輸入が増えて内需が増えて小売業態の株価が上がる」といわれてきたし、その通りに株価も動いていた。したがって、バブル崩壊後に私が繊維商社で行ったビジネスとは、日本を経済大国世界第2位に持ち上げた繊維産業の輸出ビジネスの手仕舞い、コンサル的にいえばビジネスモデルの「デコンストラクション」(再構築)だったのである。

 1991年、私は、綿糸、梳毛糸、紡毛糸を世界に輸出していた。アクリル、ポリエステル、レーヨンなどの化合繊繊維の綿(わた)もそうで、丸紅、伊藤忠商事などの名門繊維商社も同じだった。だが、85年のプラザ合意を機に、対ドル円の為替は5年間で250円から125円まで円高が進んだ。円の価値が倍になったのである。これによって、繊維輸出はビジネスとして成立しなくなった。そこで、商社はセオリーに従い、ビジネスを輸出から輸入に舵を切り、ビジネスモデルの大転換を行った。

つまり、日本の糸を中国へ輸出し、中国で製品にして輸入する「持ち帰り取引」とよばれるビジネスを増やしていった。繊維、アパレルビジネスは参入障壁が極めて低く、毎年次から次へと新しいプレイヤーが登場する。実際15%の輸入関税を払い、素材を中国へ輸出し、また中国から輸入する運賃を払っても、海外生産コストは安かったのである。
アパレル企業大手は、不況など関係なく「過去最高益」を更新し、「Made in China」などあたりまえ。そんなものを気にする人もいなくなった。そして、誰もが自然に「産地」の海外移転し、国内生産の空洞化が起きた。

そう、125円は、円高だったのである

それが、なぜか今年の120円は円安と言われ、日経平均28000円は「株安」といわれている。元商社マンだった私からすれば、「120円、ああそうですか」という感じだ。原油高などは全く違う理由で起きており混同してはいけない。

為替を変動させる要素は金利や戦争など色々あるが、単純化して言えば、基本的には為替は国力と相関するしたがって、途上国は輸出を増やし外貨を獲得し経済発展するが、経済発展を遂げた国は輸入を増やして内需を増やし富の分配を行うことになる。当時、商社は日本経済の成長を信じ輸出事業を捨てた。

しかし、2010年ごろから円安傾向が強くなり(正確には2012年)、商社は為替に一喜一憂しないビジネスモデル、三国間トレードを増やしてゆき、対ドルレートと関係ない第三国に生産拠点を移転し「内販」といって中国本土での衣料品販売、あるいは、米国や欧州のアパレルへの第三国からの輸出を増やし、変動の激しい為替相場に左右されないビジネスモデルを作り上げた。

 

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円安でもアパレル企業が生きていける理由

私が長々と為替の話をしたのは、円安だろうが円高だろうが、ビジネスはやりようがあるということを知ってもらうためだ。確かに、国内に一極集中し海外販売がほとんどない日本のアパレルにとって、円高のほうが製造コストも安くなって儲かり、円安になれば原料高とデフレで日本のアパレルは持たなくなると考えるだろうし、実際、株価もそのように反応している。だが、それは大きな間違いだ。

実は、アジアの日本向けに縫製や編立てをしている工場の多くは、日本で生き残れなくなった企業がアジアへ出て行って、現地で合弁事業を打ち立て、日本向けに仕事をしているということを知る人は少ない。「日本のアパレル投入の98%は海外生産」という言葉だけが一人歩きしているが、実は、その98%の多くは日系企業、あるいは日本資本が何らかの形で入っている。それほど、日本人はたくましいのである。

今回言いたかったのは、以下の2点である。

  1. 円高、円安という言葉は相対的なものであり、実際、全く同じ状況の30年前は、今の円安は円高で、株安は株高だった。メディア報道で一喜一憂する必要はない。為替は動くものだ。これで、円高になったら、今度は輸出ができないといってワーワー騒ぎ出すだろう
  2. したがって、円が上がっても下がっても、日本人は海外で生きてゆけるし、繊維産業の川上といわれる領域は、実際、中国や東南アジア、バングラデッシュまで自力で出て行き、ビジネスをやっている。アパレル企業は、お尻に火がついていないからグズグズいっているだけで、お尻に火がつけば、海外でたくましくビジネスをやれる(すくなくとも私たちの先輩はやってきた)し、やれないところは消えて行く

     である。アパレル不況と叫んでいるうちはまだ余裕がある。為替や株価(投資家として)に一喜一憂する暇があれば、世界のデジタル化の潮流をまずは経営者が学ぶべきだ。

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    プロフィール

    河合 拓(経営コンサルタント)

    ビジネスモデル改革、ブランド再生、DXなどから企業買収、政府への産業政策提言などアジアと日本で幅広く活躍。Arthur D Little, Kurt Salmon US inc, Accenture stratgy, 日本IBMのパートナーなど、世界企業のマネジメントを歴任。2020年に独立。 現在は、プライベート・エクイティファンド The Longreach groupのマネジメント・アドバイザ、IFIビジネススクールの講師を務める。大手通販 (株)スクロール(東証一部上場)の社外取締役 (2016年5月まで)
    デジタルSPA、Tokyo city showroom 戦略など斬新な戦略コンセプトを産業界へ提言
    筆者へのコンタクト
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