円安と株安が「アパレルビジネス」に一切関係ない理由

河合 拓
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為替のアップダウンに対して商社がしてきたこととは

Liuser/istock
Liuser/istock

日銀がETF (上場投資信託)の買い支えをやっていた最近まで「為替が円安に振れれば輸出企業の商い高が増え輸出企業の株価があがる。円高になれば、日本のバイイングパワーが高まり輸入が増えて内需が増えて小売業態の株価が上がる」といわれてきたし、その通りに株価も動いていた。したがって、バブル崩壊後に私が繊維商社で行ったビジネスとは、日本を経済大国世界第2位に持ち上げた繊維産業の輸出ビジネスの手仕舞い、コンサル的にいえばビジネスモデルの「デコンストラクション」(再構築)だったのである。

 1991年、私は、綿糸、梳毛糸、紡毛糸を世界に輸出していた。アクリル、ポリエステル、レーヨンなどの化合繊繊維の綿(わた)もそうで、丸紅、伊藤忠商事などの名門繊維商社も同じだった。だが、85年のプラザ合意を機に、対ドル円の為替は5年間で250円から125円まで円高が進んだ。円の価値が倍になったのである。これによって、繊維輸出はビジネスとして成立しなくなった。そこで、商社はセオリーに従い、ビジネスを輸出から輸入に舵を切り、ビジネスモデルの大転換を行った。

つまり、日本の糸を中国へ輸出し、中国で製品にして輸入する「持ち帰り取引」とよばれるビジネスを増やしていった。繊維、アパレルビジネスは参入障壁が極めて低く、毎年次から次へと新しいプレイヤーが登場する。実際15%の輸入関税を払い、素材を中国へ輸出し、また中国から輸入する運賃を払っても、海外生産コストは安かったのである。
アパレル企業大手は、不況など関係なく「過去最高益」を更新し、「Made in China」などあたりまえ。そんなものを気にする人もいなくなった。そして、誰もが自然に「産地」の海外移転し、国内生産の空洞化が起きた。

そう、125円は、円高だったのである

それが、なぜか今年の120円は円安と言われ、日経平均28000円は「株安」といわれている。元商社マンだった私からすれば、「120円、ああそうですか」という感じだ。原油高などは全く違う理由で起きており混同してはいけない。

為替を変動させる要素は金利や戦争など色々あるが、単純化して言えば、基本的には為替は国力と相関するしたがって、途上国は輸出を増やし外貨を獲得し経済発展するが、経済発展を遂げた国は輸入を増やして内需を増やし富の分配を行うことになる。当時、商社は日本経済の成長を信じ輸出事業を捨てた。

しかし、2010年ごろから円安傾向が強くなり(正確には2012年)、商社は為替に一喜一憂しないビジネスモデル、三国間トレードを増やしてゆき、対ドルレートと関係ない第三国に生産拠点を移転し「内販」といって中国本土での衣料品販売、あるいは、米国や欧州のアパレルへの第三国からの輸出を増やし、変動の激しい為替相場に左右されないビジネスモデルを作り上げた。

 

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