順風満帆から一転、倒産の危機へ ブロンコビリーが窮地から抜け出したきっかけは「お客さまの声」

2022/02/09 05:55
    千田 直哉 (編集局 局長)
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    1943年(昭和18年)生まれの竹市靖公さんが喫茶店「トミヤマ」を始めたのは26歳の時だ。繁盛店ではあったが所詮は小さな喫茶店。「これでは、従業員に年収500万円を支払うことはできないな」と考え、一念発起。78年に開業したのがステーキハウスの「ブロンコ」、後の「ブロンコビリー」(愛知県/竹市克弘社長)である。

    i-stock/isa-7777 ※画像はイメージです

    BSE騒動がきっかけで倒産の危機へ

     順風満帆だった。85年には「炭焼き」と「サラダバー」を導入して、一気に人気を博した。93年には多店化に備え、愛知県春日井市にコミサリー(自社加工工場)を開設。95年には商号を現在の「ブロンコビリー」に変更。「炭焼き」「サラダバー」という2つの武器を携えて快進撃を続けた。

     しかし、あることを端緒に躓くことになる。「200店舗くらいまで規模を拡大したいと考え、2000年に低価格路線への変更を決め、手間とコストのかかることは極力やめました。『炭焼き』を鉄板に変え、『サラダバー』を廃止して、大量出店に専心するように舵を切ったのです」(竹市さん)。ブロンコビリーは低価格路線にまっしぐら。1700円あった客単価を970円にまで引き下げ出店を重ね、店舗数は40に達した。

     ところがそこで降って湧いたように2001年、BSE(牛海面状脳症)問題が勃発する。売上高53億円の企業は5億円以上の赤字を計上し、有利子負債は38億円――最大のピンチに直面し、倒産の危機を迎えた。「もう一度自分の商売の原点を考え直さなければいけない」。

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    記事執筆者

    千田 直哉 / 株式会社ダイヤモンド・リテイルメディア 編集局 局長

    東京都生まれ。1992年ダイヤモンド・フリードマン社(現:ダイヤモンド・リテイルメディア)入社。『チェーンストアエイジ』誌編集記者、『ゼネラルマーチャンダイザー』誌副編集長、『ダイヤモンド ホームセンター』誌編集長を経て、2008年、『チェーンストアエイジ』誌編集長就任。2015年、『ダイヤモンド・ドラッグストア』誌編集長(兼任)就任。2016年、編集局局長就任(現任)。現在に至る。
    ※2015年4月、『チェーンストアエイジ』誌は『ダイヤモンド・チェーンストア』誌に誌名を変更。

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