インバウンド消滅を乗り切る!ラオックス起死回生の戦略と新業態「亜州太陽市場」とは
家電量販から総合免税ショップ…そして新たな挑戦へ
ラオックスの源流は1930年、創業者・谷口正治氏が電気行商「谷口商店」を立ち上げたことによる。量販店としての歩みを始めたのは60年代のことで、千葉を皮切りに多店舗展開を推し進めてきた。76年に現在の「ラオックス」を設立、最初はオーディオ製品、80年代にはパソコン商品と、時流を捉えた成長を続けてきた。ところが2000年代に入り家電量販店の競争が激化したことや拡大路線での出店計画がたたり、ラオックスは窮地に陥った。そんな同社を救済したのが、中国資本だ。09年5月、ラオックスは中国の家電量販店最大手だった「蘇寧易購」の傘下となる。
傘下に入ったラオックスは、大型免税店として変貌をとげる。訪日観光客による爆買いの流行によってラオックスは再び上昇気流に乗ったのだ。店舗の前には連日大型バスが停まり、中国語を話せる販売スタッフがフロアを飛び回る…そんな日々が続いた。しかし、やがて爆買いブームも下火になり、さらにはコロナ禍が追い打ちをかけた結果、ラオックスの経営は急速に悪化する。20年夏からは、店舗の閉鎖や人員削減などの構造改革を進めてきた。
そしてコロナ禍の出口がようやく見えつつある今、ラオックスは新たな挑戦を始めた。消費の多様化・ボーダーレス化が進むマーケットに立ち向かうため、国を越え、世界中の商品やサービスを届けることで顧客の生活を彩る「グローバル・ライフ・スタイルのトップランナー」をめざして、新業態にチャレンジする。
亜州太陽市場に続き12月には、コスメ専門店「ラオックス・ビューティー・エアポート」を自由が丘にオープンさせた。取り扱うのは、今話題を呼んでいる韓国・中国などアジアコスメだ。亜州太陽市場も、吉祥寺を皮切りに2号店・3号店と出店を予定している。
インバウンドに対する見通しもポジティブだ。「日本には一桁しかない人口100万人以上の都市が中国には80前後あり、さらにまだ日本観光を体験したことのない中国人が内陸部を中心に大勢いる」と、飯田健作社長はアフターコロナでの爆買い復活に期待を寄せる。