ユニクロ以外、日本のほとんどのアパレルが儲からなくなった理由

河合 拓 (株式会社FRI & Company ltd..代表)
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ブランド衰退!取って代わったユニクロと無印が提供した価値とは

 バブル崩壊に伴う長引く不況もあり、日本企業がほぼ独占していたアパレル業界に風穴を開けたのが外資グローバルSPA企業だった。

 2000年初頭、GAPZARAH&Mなど、世界規模でアパレルビジネスしていた外資SPAが、日本市場に本格参入はじめたのである。

 さらに「ユニクロ」というディスカウンターが原宿に店頭を出すということでアパレル業界は沸き立っていた。

 当時、ユニクロは破竹の勢いで成長し、ファーストリテイリングの柳井正社長は、あちこちのメディアで、「服は部品だ」「日本の消費者は騙されている」「世界で勝てないブランドはやがて日本でも負ける」など、それまで常識といわれていた考えに反旗を翻し、メディアのあちこちで持論を展開していった。ユニクロは売れに売れた。

 アパレル業界を変えたもう1つの存在が「無印良品」である。

 1980年に、西友ストアー(現西友)のプライベートブランドとして誕生した「無印良品」。1989年に西友の子会社として良品計画が設立、その後セゾングループの崩壊に伴い段階的に西友が良品計画の株式を売却、完全に独立して成長していった。

 無印良品は「印(ブランドネーム)に金を払うのを辞めましょう。良品を買ってください」というメッセージが当時の社会情勢とマッチし急拡大した。

 この時期、外資SPA、ユニクロなども加え、「低価格戦略」「機能価値戦略」「イメージ価値戦略」など、私が「ブランドで競争する技術」で紹介したブランド価値をひっさげ、ただ、タグをつけていただけのアパレルに強い差別性を加え、マーケットを席巻していった。それは、これまでの「DCブーム」とは全く違うものだった。

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記事執筆者

河合 拓 / 株式会社FRI & Company ltd.. 代表

株式会社FRI & Company ltd..代表 Arthur D Little Japan, Kurt Salmon US inc, Accenture stratgy, 日本IBMのパートナー等、世界企業のマネジメントを歴任。大手通販 (株)スクロール(東証一部上場)の社外取締役 (2016年5月まで)。The longreachgroup(投資ファンド)のマネジメントアドバイザを経て、最近はスタートアップ企業のIPO支援、DX戦略などアパレル産業以外に業務は拡大。会社のヴィジョンは小さな総合病院

著作:アパレル三部作「ブランドで競争する技術」「生き残るアパレル死ぬアパレル」「知らなきゃいけないアパレルの話」。メディア出演:「クローズアップ現代」「ABEMA TV」「海外向け衛星放送Bizbuzz Japan」「テレビ広島」「NHKニュース」。経済産業省有識者会議に出席し産業政策を提言。デジタルSPA、Tokyo city showroom 戦略など斬新な戦略コンセプトを産業界へ提言

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