「不要論」跋扈の登録販売者、その誕生秘話

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担当官僚がドロップアウトしてしまうくらいの難テーマ

 医薬品販売制度改正検討部会は、2004年から2005年までに23回の会合を重ね、さらに下部組織としてOTCのリスク区分を検討する専門委員会も14回の議論を行った。合計37回もの検討を敢行した格好だ。薬事法大改正に相応しい、それなりに濃厚濃密で長期間の議論だった。それだけ“揉めた”テーマだったわけだ。

 なかでもとくに、登販制度の新設は難課題のひとつだった。新たな「専門家」の創設に薬剤師会は反発。薬種商協会も個人資格への移行には賛成していたものの、資格取得のハードルが下がる点には警戒し、会内で賛否が分かれた。実際、こうした関係者間の根回し、ネゴシエーションは難航を極めた。調整を担当していた厚生省の官僚は心身喪失し、第一線を退いてしまったほどだ。官僚のひとりがドロップアウトしてしまうくらいの難テーマだったのだ。

 この窮地を救ったのがJACDS事務総長の宗像守氏(故人)だった。ほとんどの根回し、ネゴを一手に引き受け、落しどころへと導いた。2006年に成立した改正薬事法は、店舗にOTC販売の許可を与えていた薬種商販売業を、個人が取得できる新資格として登録販売者に改組。同時にOTCを副作用などの安全面から3分類し、薬剤師に販売を限定した第1類と、登販でも販売可能な第2類、第3類に再編した。

 ちなみに、このときキーとなったのが風邪薬や鎮痛薬。改正検討部会では副作用の状況やその発現比率から第1類に規定すべきといった意見が、薬剤師や有識者、薬害被害者の代表から上がっていた。議論の流れもその方向にあった。なぜなら、サリドマイド副作用で両腕に障害が残る薬害被害の当事者が、切々と安全性を訴えれば誰も反論などできない。一方、風邪薬は薬局・薬店にとって大事な商材だ。売上、利益もさることながら、風邪薬を置いていない店舗など消費者から見放されるのは眼に見えていた。難航の末、第2類のなかでも販売規定を若干上乗せした「指定第2類」を付け加え、軟着陸したのだった。

 風邪薬の第1類への指定見送りを決めた会合の直後、薬害被害者の委員が大粒の涙を流しながら、肩を落としていた姿が印象に残る。ただその傍ら、風邪薬を第2類にしたことで、規制緩和推進派の矛先を納められるという手応えも関係者にはあった。薬剤師ではない新たな資格者、登販が販売を担えれば人気商材は確保できる。そういった空気感が業界内には漂っていた。ところが波乱が起きた。

 検討会報告書では、インターネット販売については第1類が不可、第3類は可と明示していたものの、第2類は明確な方向性を示していなかった。それでも登販が販売を担う第2類もネット販売可能と見られていた。関係者のほとんどがそう捉えていたのだが、最後の最後に暗転。薬剤師会代表がウラでネゴシエーションを仕掛け、ネット販売は第3類に限定してしまったのだ。規制緩和派、特にネット通販業者が猛反発したのは言うまでもない。その後、訴訟に発展し、最高裁では国が逆転敗訴。結果、ネット販売は第1類を含む全OTCが解禁となった。あのとき、余計な動きをせずに第2類までネット販売可能にしておけば、現在のスイッチ停滞やさらなる規制緩和要求は収まっていたかもしれない。

 話が逸れたが、要は元をただせば薬剤師不在問題がDgS業界を奮起してJACDSの創設に結び付き、行政との制度論争に発展。改正薬事法に帰着し、登販制度が誕生したという流れだ。薬剤師不在問題が新たな専門家を創成させたのである。(つづく)

●連載「忍び寄る登録販売者『不要論』」
第1回 忍び寄る登録販売者「不要論」 新資格に突き付けられた最大の危機とは
第2回 JACDS代表も反対せず…厚労省検討会で露になった登録販売者「不要論」
第3回 厚労省が誓約書を要請……阻止できなかった登録販売者「不要論」のウラ事情

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