「設立100周年の老舗革新的商品で次の100年に始動!」藤木茂彦社長(株式会社 丸五)
1919年(大正8年)の設立以来、一貫して地下足袋をつくり続けてきた老舗メーカーの株式会社丸五(岡山県倉敷市)が今年で設立100周年を迎えた。丸五は、日本の伝統的な作業用履物である地下足袋をつくり続ける一方で、その特徴を生かしながら、時代に合う履物に進化させて、つねに革新的な商品開発に取り組んできた。代表取締役社長の藤木茂彦氏に、その100年の歴史と今後の抱負を聞いた。
作業用品で着実に地歩を固める
──設立100周年、おめでとうございます。丸五というと、やはり地下足袋のイメージが強いですが、現在はバラエティに富んだ履物をつくっています。
藤木 当社は創業時から地下足袋をつくり続けてきました。当社の創業後、全国に多くの地下足袋メーカーができて需要を伸ばしていきましたが、一部のメーカーとの間で特許の係争があり、当社を含む多くのメーカーが影響を受けるようなことがあったようです。当社は手袋製造に活路を見いだして、1932年(昭和7年)には「万年軍手」で製法特許を取得しました。朝鮮半島、中国などにも輸出して、ひところは「万年軍手の丸五」というイメージが定着していました。
その後、戦争中はゴムが軍事物資として国の管理下にあったので、岡山県内にあった三井造船の船舶部品や、三菱重工業水島航空機製作所の機材などをつくりました。戦後は、残った資材を生かして、自動車関連商品の製造を始めました。そして、子供用の運動靴なども生産し、大手量販店や靴専門店に商品を供給してきました。その後カジュアルシューズについては韓国、台湾などでの生産が主体となり、地下足袋については中国での企業誘致策などもあり、次第に海外生産が主力になっていきました。
──地下足袋メーカーが運動靴やカジュアルシューズなどの製造に取り組むのは、冒険だったのではないですか。
藤木 運動靴(ゴム履物)は創業時から生産していました。ただ、カジュアルシューズは需要の変動が大きいため、働く人のためのワーク(作業用品)に絞っていこうと決めて、最初に開発したのが95年(平成7年)に発売したスニーカータイプの安全靴「マジカルセーフティー」です。安全靴の市場はまったく未知でしたが、スニーカータイプの安全靴への需要はあるだろうという読みと、地下足袋で作業用品専門店に販路があったことで参入を決めました。しかし、まったく新しいタイプの安全靴ということで、1つの挑戦ではありました。
当時の革製安全靴の重くて、硬いという欠点を解決する、軽量で軟らかいスニーカータイプ安全靴として好評を得ました。しかし「安全靴」の「安全」という表示についての基準が不明確という指摘を受けることもありました。そこで、安全靴メーカーとともに、2003年に「日本プロテクティブスニーカー協会」設立にかかわり、一定の商品基準を設けました。その後、公益社団法人日本保安用品協会(JSAA)でプロテクティブスニーカー規格を設けて、合格商品にJSAAの「型式認定合格証明票」を付けるようになりました。今では、ホームセンター(HC)などで扱う商品のほとんどにこのマークが付いていて、認知度が高まっています。
00年代に入ると、大手ゼネコンでも安全管理意識が高まって、安全靴で作業するという流れが進みました。そのため、当社でも樹脂製先芯を入れた地下足袋を発売して、安全を軸にした商品は、1つの大きな柱に成長しました。
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時代の変化に着目した商品開発で市場を開拓