ワークマン代表取締役社長 小濱 英之 新しいワークマンをつくるのがミッション、ワークマンプラスを軌道に乗せる!
一般客に客層を拡大したワークマンプラスの成功で、驚異的な既存店売上高の成長を続けるワークマン(群馬県/小濱英之社長)。ワークマンの中興の祖ともいえる栗山清治前社長からバトンを受け、4月1日に新社長に就任したのが小濱英之氏だ。小濱氏に今後の成長戦略、自身のミッションについて尋ねた。
聞き手=阿部幸治 構成=兵藤雄之
会社が生まれ変わる時期、経営トップも若返り
──4月1日付で社長に就任しました。就任理由や経緯を教えてください。
小濱 2019年2月、群馬での展示会の折に、栗山清治社長(当時)から聞かされました。「ワークマンプラスが誕生し、会社が生まれ変わる時期に来ている。経営トップも若返りを図る必要がある」と。
──小濱社長のワークマンでのこれまでのキャリアは?
小濱 入社して商事部(現在の直販部)で店舗のないエリアのフォロー(直接注文品の発送)やグループ会社向けのユニフォームの納入を担当し、スーパーバイザーを経て、手袋、カッパ、作業小物のバイヤーを7年近く務めました。再び、商事部に戻って10年ほどリーダーを務めました。その後、栗山さんが社長に就任した(09年12月)のとほぼ同じタイミングで商品部に異動となり11年1月から、新設された商品部海外商品部の部長になりました。そこでアウトドアを意識した商品開発を進めていきました。その後、執行役員、取締役を経て、今回の人事となりました。実は商品部時代の上司も栗山さんでした。
──ということは、小濱さんは栗山前社長の右腕のような存在だったと。
小濱 そこまでだったかはともかく、栗山前社長にはアドバイスをいただきながら、必死で勉強しました。
──初の海外商品部の部長として、苦労も多かったのではないですか?
小濱 工場を探すのがたいへんでした。伝手もないし、言葉もしゃべれない。そんな状況下で、中国の大きな交易会に何度も出かけ、工場らしきところを手当たり次第、何件も回りました。質問事項を中国語で表にまとめ、その中から協力工場を発掘していきました。現在、90から100の海外ベンダーとの取引実績がありますが、当時のパートナーが今も続いているところもあります。
ワーク×アウトドアで世にない商品を開発
──さて、ワークマンプラスが絶好調です。この開発のねらいと、現状についての評価をおうかがいできますでしょうか。
小濱 正直、ここまで大ヒットになるとは、社員も予想していなかったと思います。そもそもワークマンプラスは既存店の客数アップを目的として開発されたものです。商品の差別化により、固定客化を図り、客数アップをめざしていました。しかし、日本全体の人口減はプロ市場でも同様です。既存の顧客層であるプロ顧客で客数アップを実現するのは難しい。そこで一般客に目を向け、客層を広げることを考えたのです。
幸いにも、高機能防水防寒をうたったPB「AEGIS(イージス)」は「オートバイ」「釣り」にも利用されている声を耳にしていましたから、一般の人にワークマンを知ってもらうきっかけに、ワークマンプラスを広告塔として活用していこうと考えたのです。
──ワークマンプラスの成功には商品の差別化が大きいと思います。他社にない低価格、高機能の商品開発に至った経緯は?
小濱 ワークマンにしかない商品をつくるべく、どこも取り入れていないものを、われわれのワークウェアにプラスして開発することを考えました。
そのきっかけが、先にも触れましたが「AEGIS」です。アウトドアで利用されているのなら、その分野での特徴的な機能をプラスしてはどうかと考えてみたのです。アウトドア誌の広告を見ると、「180度開脚しても突っ張らない」とか「突っ張らないから、あと1ミリ、腕が伸びる」といったキャッチが目につきました。それらを可能にしているのが、ストレッチ素材でした。
このストレッチ素材を使って、「突っ張らないレインスーツ」を開発したところ、うまくはまりました。ストレッチ素材を使った商品開発が結果を出したことで、ワークの機能性に、アウトドアやスポーツ向けウェアのいいところをプラスすれば、世にないものができると自信になりました。
時代の変化もありました。リーマンショック以降、職人の世界では、作業服の支給が少なくなり、個人個人で用意するようになった。そうしたときに、とくに若い世代では自分の体にフィットしたスタイリッシュに見えるものを求めたのです。それが当社の新しいラインアップとマッチしたわけです。