進んで勉学に励まない人でも
教育できる唯一のこととは
1987年、生まれて初めて飛行機に乗り、友人と大きなリュックサックを担いで中国大陸を放浪した。
人生最初の異国の地は、何もかもが新しい世界であり、無垢な五感のすべてが刺激され、感激感動しまくったことを今でも鮮明に覚えている。
当時ベストセラーだった盛田昭夫さん(ソニー創業者の1人)の『MADE IN JAPAN―わが体験的国際戦略―』(朝日文庫)の中に、「本人が自ら進んで勉学に励まない限り、どんな大金を投じてもその人を教育することはできない。だが、お金によってできる教育がひとつだけある。それは旅行である」という一節を発見して、「その通り!」と膝を強く叩いたものだ。
しかし、社会人になって、国内や海外旅行の数が増え、経験を重ねるうちに、どこに行ってもワクワクしなくなっていった。
決して、斜に構えていたわけではない。
「遭遇した事象を冷静に見ることができるようになった」と言えば聞こえがいいが、どうもそうではなく、身体の中からふつふつ湧き上がる好奇のパワーが質的にも量的にも、どんどん落ちていったような気がした。
多少のことでは感激感動できない自分がいた。
何にでも感激するある経営者 その会社はいま
ところが、ある中国出張で一緒になった某企業の経営者は違った。
初の海外踏破から約30年が経過した同じ中国で、「お菓子の値段」「車の増え方」「生活者の服装」まで何を見ても、必要以上に驚くのだ。その感激感動ぶりと表現の大きさは、見ている私が恥ずかしくなるほどだった。
「この人、わざとオーバーリアクションをしているんだろうな」とはじめは、懐疑的に見ていたのだけれども、道中、ずっと同じ態度を崩さなかった。
「感受性が強いんだ」と個人のパーソナリティのせいにしてしまえば、そこから先は考えなくてもよい。
しかしながら、些細な変化を見逃さず、感激感動できるのは凄い能力だと、帰路の機上で思い直し、反省したことを思い出す。
そんなことがあって以後、その企業にはずっと注目してきたが、いまなおどんな環境にあっても好調を維持し続けている素晴らしい会社のままである。