#2 ユニー“中興の祖” 家田美智雄さんの物語
取引で大事な3つのこと
たぶん、そんなことがベースにあったからだろう。
家田さんは、どの立場になっても、取引姿勢についての明快な持論を社内で言い続けた。
それは、取引をするのに1番大事なことは「品質」であるということ。2番目は「価格」だ。だから同じ品質のものなら、価格の安いところから買うことを絶対原則とした。
そして3つめに来るのが「情【なさけ】」である。面倒を見てもらったり、親切にしてもらったり、懇意だったり…品質と価格が同じであるならば、情をかけて構わないと断言するとともに、自らもその姿勢をずっと貫き通した。
そんなことを繰り返し、味方をつくり、周囲を巻き込みながら、西川屋は確実に成長を重ねていった。
昭和38年(1963年)に西川屋チェンに商号変更し、翌年、マルサン(長野県)、銀杏屋(三重県)と合併。昭和46年(1971年)にほていや(神奈川県)との合併により、ユニーを設立した。
GMS(総合スーパー)の大型店をドミナント展開することで、とくに東海エリアにおいては向かうところ敵なしだった。
家田さんも、ユニー取締役、商品本部ドライ食品部長(1971年)や東海ユニー商品部食品文化部長(1972年)などを歴任して、順調にキャリアを積み重ねた。
突如人事部長に任じられる
厄年に当たる数え42歳の昭和50年(1975年)のこと――。家田さんは胆石除去の手術で入院していた。
すると見舞いがてら、10歳年上の西川俊男副社長(当時)が訪ねてきて、唐突に「人事部長をやってほしい」と切り出した。
思いもしていなかったふいの打診に反射的に拒絶した。
「勘弁してください」。即答しながら、頭の中では理由を探していた。
「自分は営業サイドで結果を残してきた人間だ。人事に関する知識はほぼない」。
ちょっと考えれば、明快だった。きっぱりと断ったから、もはや異動の話は消えたはずだった。
ところが、退院後に出社すると、家田さんを人事部長に据える人事発令が張り出されていた。
実は、西川副社長にも家田さんを指名しなければいけない理由があった。
ユニーの経営陣と労働組合の関係が悪化していたのである。
労働組合は、話がこじれると地方労働委員会(都道府県単位で設置されている労働委員会)に駆け込み、裁定を求めた。ほとんどは労働組合側の言い分が通り、経営側は常に劣勢。石油ショック明けのこの年には実に23%のベースアップを飲まされた。
その影響で好調だったユニーは減益を喫することになる。
労働組合と正面から向き合い、渡り合える人物――。西川副社長は、話がうまく、従業員からの信望も厚い家田さんに白羽の矢を立て、大事な時期を乗り切りたいと考えたのだ。
家田さんが人事部に着任してみると、小売業とは雰囲気が異なる数名の社員がいた。彼らは、労働組合対策の“専門家”を自称していた。話をしてみると、“専門家”には共通項があった。交渉をする前から弱腰の一辺倒だったのだ。
「組合はこれを聞きませんよ」とか「いやいや、そんなに甘いもんじゃないです」とか、何かをしようとすると労働組合の動きを先読みし尻込みした。
「出もしないお化けに怯えている」と家田さんの目には映った。
そこで、数か月を待たずに、“専門家”を全員交代させてしまった。
それは、「俺が前面に立ってやる!」という家田さんの不退転の決意表明だった。代わりに交渉に関しては人事部長が全権を掌握することを会社に認めてもらった。
家田さんが人事部長に就く前のユニーの団体交渉は、会社側が20人出席すると、労働組合側も20人出席という形が取られていた。それを会社側は6人に減員した。「悪役は少ない方がいい」という考えからだ。
一方、労働組合は部屋に入れるだけ何人参加しても構わないとした。
枠を取り払い、膝を詰めて話をじっくりしてみると、労働組合は、大中小の様々な問題を取り上げ、どんどん突っ込んできた。
けれども、すぐに「労使問題は、それほど難しいことではない」という感触を得た。「民間企業の行きつくところは条件闘争に勝っても会社が倒産してしまえば終わり」という開き直りからだ。
腹をくくり、先入観を持たず、会社を良くすることを前提に、相互に忌憚なく語り合ううちに、労働組合は理解してくれ、1年を待たずに良好な労使関係を築くことができた。
そして、昭和51年(1976年)、西川俊男氏がユニーの社長に就任。同じ年、名古屋証券取引所に上場するなど、いよいよユニーは黄金時代を迎えることになる。
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