日本のデジタルトランスフォーメーション(DX)はずっと遅れていると言われてきた。しかし、一部の先進企業は着々と準備を進め、DXの動きを加速させている。近年、積極的にDXに取り組む西友(東京都)の大久保恒夫社長、DX推進本部執行役員本部長の荒木徹氏と、さまざまな小売企業のDXを支援するシノプス(大阪府)の南谷洋志社長にそれぞれ話を聞いた。
店舗販売業からマーケティング業へ
── 日本の小売業のDXは新型コロナウイルス感染拡大によって加速したと感じています。
大久保: コロナ禍によって、本来あるべき方向へ進むスピードが上がったことは確かです。
その背景のひとつが、データ活用の必要性を小売業各社が痛感したことです。スーパーマーケット(SM)について言えば、家庭内食が増えて一時急増した売上が落ち着いたところに、ディスカウント合戦を再開したことで減益する企業が増えました。利益を上げるため、これまでほとんど分析してこなかったデータを活用する必要に迫られたのです。
さらには、生産性向上のためのシステム活用の重要性の高まりや、車社会からネット化社会への社会の変容も、デジタル化加速の背景にあると感じます。
南谷: 当社は販売実績などのデータをAIで分析する需要予測型自動発注サービスを小売企業に提供して約28年になりますが、小売業に今、大きなDXの波が到来していると実感しています。
原料調達から製造・物流・小売・消費までのサプライチェーン全体の最適化はデマンド起点、つまり需要起点のデマンド・チェーン・マネジメント(DCM)でなければ実現し得ないというのが当社の考えです。その需要起点のデータを速やかに吸い上げて川上に流してはじめてサプライチェーンの最適化が実現できます。それにはデータの精度が欠かせませんが、デジタルインフラが整備されていなければ精度の高いデータを収集できません。
コロナ禍は小売企業のデジタル化のトリガーになりましたが、デジタル化を中途半端に終わらせない企業がどれだけ増えるかが、DCMを実現するカギになると思っています。
大久保: おっしゃるとおり、最も早くて正確なお客さまのデータを持っているのは小売業です。
そのデータをもとに、生産段階から物流・在庫・販売までの流通構造全体に関わり、総合的に最適化することこそ、小売業が行うべきことと思います。これまでの小売業は、メーカーが製造した商品の物流と在庫を卸に任せ、自らは店舗に商品を並べる「店舗販売業」でした。当社は、店舗販売業から脱却しなければならないと考えています。そして、データを活用した「マーケティング業」をめざします。
そもそも小売業とはお客さまのニーズへの対応業です。ただし、そのニーズは時代とともに変化します。その変化に効率的に対応するためのツールであるシステムやデータに対して、今後かなりの投資が必要になるでしょう。投資を行うには利益を上げねばなりませんが、小売業は薄利です。それを変えない限り、小売業のDXは進みません。
利益を生み出すのは商品力と販売力です。生産段階まで踏み込んで商品を開発する商品力と、その商品を売り込む販売力の2本柱による価値創造が利益を生み出します。その2本柱を支える基盤が、教育と情報システムです。
つまり、システムやデータに投資し、それを活用して価値を創造し、利益を生み、また投資するといういいスパイラルを回す必要があると思っています。
地道に成果を上げる西友のDX戦略
── では、西友のDX戦略についてお聞かせください。
大久保: 当社はEDLP(エブリデー・ロー・プライス)を指向し、お客さまからも安さに対する評価をいただいています。これは当社にとって非常に重要な資産です。同時に、おいしさ、健康、簡便性といった安さ以外のニーズにも、できるだけ低価格で対応しようと考えています。
こうしたニーズへの対応と安さとの両立は難しいと言われてきましたが、今ではデータ活用によって両方のニーズに対応するトレードオンはできるはずですし、そうしていくつもりです。
当社と協力関係にある楽天グループ(東京都/三木谷浩史会長兼社長)は、「楽天ポイント」を発行する企業すべてが共通IDで取得した膨大なデータを集約しています。楽天はそこから把握した個客ニーズに応じた施策で大きな成果を上げています。
西友でも当社の個客データだけでなく、楽天の持つビッグデータをプライバシーやセキュリティの問題に対処しながら活用し、データ活用において突出したSMに西友を成長させたいと考えています。
時代が大きく変わり、ビジネスモデルの革新が必要です。
当社がめざすビジネスモデルの革新は先ほど申し上げたとおり、店舗販売業からの脱却とデータを活用したマーケティング業化です。
そして、もうひとつの目標がリアル店舗とネットスーパーの融合。つまり、OMO(Onlines merges with Offline)です。
DXについては、全方位的に最新のテクノロジーを適用して改革を進めるのは小売業に合わない気がしています。当社は成果の上がるところから地道にDXを進めていく方針です。
荒木: 西友のDX戦略には2つの柱があります。
1つは「新・西友環境」の構築です。これまでウォルマートとともにつくったインフラを用いていましたが、日本の市場で主に中小型店舗を展開する当社には、スーパーセンターを中心とするウォルマートのシステムやプロセスは適合しづらい点がありました。そこで、より日本の実情に適した国産のインフラに乗り換えようとしているところです。24年春までに完了させる計画です。
2つめが、いわゆる小売のバリューチェーンにおけるDXの推進で、先ほど話のあったデータを活用したデジタル・マーケティングはそのひとつです。22年4月から、西友で「楽天ポイント」を貯め、そのポイントが使えるようになりました。西友全体の1日平均来店客数およそ100万人のうちの半数以上が楽天ポイントを活用頂けるようになってきました。実店舗とネットスーパーの両方で楽天IDに紐づいたデータが取得でき、クラスター(顧客セグメント)単位と個店単位で分析が可能となり、より効果の高いプロモーションが打てるようになりました。それ以外も今後、バリューチェーン上の各領域でDXの施策を推進する計画です。
大久保: 現在はクラスターごとですが、将来的にはワントゥワン・マーケティングに発展するでしょう。しかし、SMは単価200円・粗利20%のビジネスです。その実現は、お客さま一人ひとり、一品一品のプロモーションを実施しても採算が合うところまでAI化のコストが下がってからになると思います。
南谷: リアルタイムに個客データを収集して、それを川上に波及させることが可能になり、加えて小売企業のオムニチャネル化が進めば、ワントゥワン・マーケティングが当たり前の時代が来るはずです。
そうなると、個客ごとのニーズを把握し、いかに提案するかの優劣で、小売企業の優勝劣敗が明確になると思います。
DXは不可逆的、後戻りできない
── 西友はシノプスの需要予測型自動発注サービス「sinops」を採用しました。発注・在庫管理面での改革をどのように進めるお考えですか。
荒木: 現在は、総菜以外の商品の自動発注・自動補充にはウォルマートの仕組みを適用しています。これらウォルマートの仕組みを「sinops」の需要予測型自動発注に転換していきます。
われわれが「sinops」にとくに期待する領域は、生鮮食品です。消費期限が短いうえに相場の変動によって需要に波がある生鮮食品の需要予測には、ウォルマートの仕組みでは発注の精度にやや課題が残りました。そのため、本部が需要予測に基づいて発注しても、店舗で発注量を手作業で調整することがよくありました。これでは発注にかかる作業時間は減らず、食品ロスの削減にも限界がありました。それが日本市場に合った新たなシステムの導入によって、手作業で発注しなくて済むこと、そして食品ロスをさらに安定的にコントロールできることを期待しています。
もうひとつ、値引きタイミング・率をAIで算出する「sinops-CLOUD AI値引」を活用した総菜向けの値引き作業のシステム化にも期待しています。これから導入に向け、今後PoC(新たなアイデアの実現性や効果を小規模な実験で検証するプロジェクトの進め方)を展開して、その効果を検証したいと考えています。成果が上がれば、財務上のメリットがあり、投資余力を高めることができます。それだけでなく、社会課題であるフードロス削減にも貢献できると考えています。
── PoCのお話がありましたが、これまで“後乗り有利”といわれてきたデジタル化の進め方についてのご意見をお聞かせください。
南谷: DXは不可逆的で、後戻りすることはありません。それならば、数年後の社会の姿を想定して、いち早く戦略を立て、小さな単位でシステムを導入しトライ&エラーを繰り返す。そのPDCAを1週間に1度回すくらいのスピード感をもってやれるかが違いを生む、先発有利の時代になりました。
というのも、以前と比べて初期投資が相当少なくて済むからです。数十万円から100万円ほどで小規模な実験をして検証することが可能です。早く取り組めば失敗の数がそれだけ増えて、経験値が上がります。経験の引き出しを増やす方が有利だと私は考えます。
荒木: おっしゃるとおり、スピード感をもって低コストにPDCAを回すという流れに大きくシフトしていることは間違いありません。たとえば、楽天とともに行っているデジタル・マーケティングでも、PDCAを回す速さは大変スピーディです。
一方で、先ほどお話ししたデジタル基盤の刷新といった領域はしっかりと時間と投資費用をかけて実施していかなければならないことだと考えています。
利益を生むためにDXに先行投資
──急変する環境の中にあって、デジタル投資にまで手が回らない企業も少なくないと思います。最後に、そうした企業に向けて一言お願いします。
南谷: 先ほど大久保社長が投資の必要性、そして成果が上がる分野から投資するというお話をされましたが、まったく同感です。投資をしない企業が後から他社に追い付くのには倍以上の手間と時間がかかります。
費用対効果を検証してリターンがありそうなところから一案件ずつ手掛ける方法をとれば、投資はさほど大きなものではないことを強く申し上げたいと思います。
小さなことから確実に成果を上げていく。そして増えたキャッシュフローを次の投資に充てるというやり方が最も実行性があります。当社はこれまでも小売企業様と二人三脚でそうした手法で実績を積み重ねてきました。今後もそうした手法を取り続けていきます。
大久保: 利益が上がらないからといって投資しなければ、さらに利益が出なくなる負のスパイラルに陥ってしまいます。データ活用やシステム化の競争の時代です。利益を前向きな投資に回すことは、生き残るために必須です。