2016年秋、ファーストリテイリングはジーンズの本場として知られる米国カリフォルニア州ロサンゼルスに、ジーンズ専門の研究開発施設「ジーンズイノベーションセンター」を開設した。世界を代表するファブリックメーカーとの生地開発や、最先端の加工技術の研究・開発を重ね、さらに美しく快適に着用できるジーンズを開発するための施設だ。このジーンズイノベーションセンターでは、2018年より、ジーンズの加工工程の水使用量を最大99%、平均90%以上削減する技術を開発している。ファーストリテイリング ジーンズイノベーションセンターCOOの松原正明氏に取材した。
環境に配慮し、作る人にも優しいジーンズ
ジーンズを作る工程では、大量の水を使う。ほかのアパレル製品と違い、製品になった後に「洗い加工」というプロセスが入るためだ。日本国内のジーンズメーカーも、排水処理の問題には早くから取り組んできた。
2018年、ユニクロは、ジーンズを洗う工程にナノバブルやオゾンでジーンズを洗うウォッシュマシーンを採用し、従来の生産方法に比べ、仕上げ加工時の水使用量を大幅に削減できる技術を開発したと発表した。
これにより、ジーンズの加工工程で使用する水の量を、従来に比べて最大99%、平均90%以上(※1)カットすることに成功。この技術の導入による水の削減量は、2020年に生産した約4000万本のジーンズ(※2)で試算すると、従来の生産方法に比べて約37億リットル、国際基準プールの容積で換算すると約1500杯分に相当する量の水使用量の削減となるという。
※1 ユニクロの2017年メンズレギュラーフィットジーンズと2018年同型商品を比較した場合
※2 2021年以降のジーンズ生産量は公表されていない。
「ストーンウォッシュに使用する軽石も、摩耗しにくい人工石に変えることで、水質汚染も軽減することができました。その後さらに技術の進化があり、いまでは人工石を使用したプロセス自体を行っていません。また、ジーンズのリアルな経年劣化を再現するため、従来は手作業で行ってきた『擦り』の工程は、レーザー技術を導入することで、格段にスピーディで高いクオリティが実現できるようになりました。これにより、作業をする人の負担が大幅に軽減できたのも大きな成果だと思っています」(松原氏)
これらのテクノロジーを集結させて開発した新しい基準のジーンズを、ユニクロは「ブルーサイクルジーンズ」と呼んでいる。ユニクロでは、このブルーサイクルジーンズも従来のものと値段を変えずに販売している。工程の無駄を省くことで開発にかかったコストをすべて吸収しているそうだ。
ジーンズイノベーションセンターとは
松原氏は、国内のジーンズ専業メーカーに勤めた後、ロサンゼルスに渡り、プレミアムジーンズのファクトリーブランドに転じた。ユニクロに入社する以前に、すでにジーンズのデザイナーとして20年の経験を持つプロフェッショナルだ。
松原氏の経験と、ロサンゼルスで培ったネットワークがそのまま生かされ、入社と同時にジーンズイノベーションセンターの準備が始まった。
ジーンズイノベーションセンターは、ジーンズの生産をする工場ではなく、あくまでジーンズの研究開発のための施設だ。素材、デザイン、縫製、洗い加工などのサンプルを作り、そのレシピを開発して、製品を作る世界中の工場に提供している。工場によっても国によっても水や使用する薬品が違うため、センターのメンバーが現地に赴き、目指すものが出来上がるよう調整していく。
新商品を開発するだけでなく、現在ファーストリテイリンググループの全ブランドのデニムのすべてのモデルに対してディレクションしている。
「ジーンズイノベーションセンターができたから、そこで画期的な技術革新が生まれて、それによって環境に配慮したジーンズができたわけではないんです。技術的には、それぞれのメーカーやファクトリーがこれまで進めてきたことです。ただ、僕たちジーンズイノベーションセンターでは、洗い加工だけではなく、素材の開発から、縫製技術も含めて一貫して開発しているので、それらの技術や情報を結集させて、その結果としていいものが作れている。ジーンズ業界の中でも、こんな環境はほかにはないと思います」(松原氏)
ロサンゼルスだからこそできること
「ジーンズの開発拠点をロサンゼルスに作りたいというのは、当初から柳井社長が持っていた構想でした。実際にそこでどういうことをやっていくか話し合う中で、ジーンズの価値観を変えて、サステナブルなものづくりを目指していくということにフォーカスされてきました」(松原氏)
ロサンゼルスにはグローバルでジーンズを作るための環境がある。デニムの生地メーカー、縫製工場、加工工場が揃っていて、同時に一大マーケットでもあり、ジーンズ作りにまつわるあらゆる情報が世界中から集まってくる。そして、サステナブルなものづくりにおいても、ロサンゼルスという立地が大きく影響している。
「カリフォルニア州は日本のように水が豊富にはない地域ですから、水問題が常にありました。そして、ロサンゼルスのジーンズ業界全体が、サスナブルなものづくりということに向かっていました。ジーンズを洗うウォッシングマシーンの会社や薬品メーカーも含め、既にそういった研究を始めていたのです。僕がユニクロに入社した2015年当時、日本のジーンズ業界ではまだそういった雰囲気はなかったと思うので、やはりロサンゼルスは環境が整っていました」(松原氏)
環境負荷の少ない商品開発に対しては、もちろん、水の使用量削減以外のアプローチにも取り組んでおり、たとえばジッパーに使っているテープは、すでに100%リサイクルポリエステルになっている。縫製糸は、通常ポリエステルのコア(芯)に綿を巻き付けて作るが、そのコアの素材もリサイクルポリエステルだ。ボタンの真鍮(しんちゅう)部分はリサイクルマテリアルに変え、メッキを加工するとき使う水も削減した。
「ジーンズはほかのアイテムに比べて部品が多いため、それらの部品も含めて取り組まないといけません。最終的には、最も環境に配慮したジーンズというのを、どこよりも先駆けてやりたいと考えています」(松原氏)
難しいのは、技術より意識の共有
サステナブルなものづくりを実現するにあたり、最も難しいのはどういうことなのだろうか。
「一番難しいのは、なぜ水を削減するのか、とか、なぜ無駄を省くのか、という意識を、社内外含めて共有することです。ジーンズの業界、ものづくりの世界は、手をかければかけるほど良いという考え方があります。かつては僕もそう考えてやってきましたし、今でもそういう面もあると思います。だから、いかに手をかけずに良いものを作るかという考え方を共通で持つということは、簡単にはいきませんでした」(松原氏)
長い付き合いのパートナー工場であれば、まずトップに自分たちのやりたいことを理解してもらってミッションを共有する。同時に、現場にも入って皆と一緒に作業もする。松原氏は長年ファクトリーブランドにいたので、現場とのコミュニケーションはやりやすかった。ただ、それでも「水の削減もわかるけれど、そうは言っても……」という声も聞こえてきたという。
ジーンズはかっこよくなければいけない
「それを解決する方法は、最終的にはやはり、今までよりかっこいいものを作って見せる、それしかないと思っています。やはりジーンズはかっこよくなければいけないですから。いくら水を削減した、サステナブルだ、といっても、かっこよくないものを見せたところで、作る人も着る人も、誰も納得しません。その方法でちゃんといいかっこいいものを作って、それをみんなに見せて納得してもらうしかないんです」(松原氏)
「自分はジーンズが好きで、ジーンズしかやってきていない。だから、もっとたくさんの人にジーンズをはいてもらいたいと思っています。たくさんのお客様に同じクオリティのものを提供したいと考えると、絶対に無駄をなくした方がいいし、少ない工程で作った方が品質も安定します。けっして画期的なことではないですが、単純に、それが正しいと思ってやっています」(松原氏)
松原氏の入社がなければ、ユニクロのジーンズイノベーションセンターは構想に終わっていたのかもしれない。そう思ってしまうほど、松原氏の存在感は大きい。しかし、本人はいたって謙虚に「これは僕たちだけでやったことではない」「それもパートナー企業や工場があってできたこと」という言葉を繰り返す。こういう形のリーダーシップこそが、新しいスタンダードを生み出していくのだと思う。