ユニクロの難民雇用 ミャンマーから逃れて日本で描く未来

北沢 みさ (MK Commerce&Communication代表)
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日本に来てからの一年間

 ミン氏の日本語は驚くほど流暢だが、日本語は日本に来てから勉強したのだという。日本に来て、まずRHQ(Refugee Assistance Headquarter難民事業本部)(※)の定住支援プログラムで、一年間日本語を勉強した。
※難民事業本部(Refugee Assistance Headquarters)は、政府から委託を受けて、難民等の支援を行う団体。難民とその家族の日本での定住を促進するための支援を行う。

 このプログラムは、難民及びその家族が日本社会で自立した生活を営むため、①日常生活に必要な日本語力を身につける日本語教育、②日本の社会制度や生活習慣、文化、保健衛 生等を学ぶ生活ガイダンス、③就職先や職場適応訓練先のあっせんを行う、というものだ。

 「ミャンマーで大学に入学していたので、当初は日本でも大学へ進もうと思っていたのですが、やはり早く経済力をつけて自立したいと考えるようになりました。それで、RHQの紹介で、ユニクロにインターンシップで入りました。そして、そのままユニクロで仕事を続けて準社員になり、3年前に正社員になりました」

ユニクロのミン氏
ユニクロ店舗で働くパイ・ミン・タン氏

ユニクロでの仕事を通して

 ユニクロで働き始めて7年になるミン氏が、難民どうしの懇親会で皆に話す機会があった。

 「日本に来たばかり、ユニクロで働き始めたばかりの人を見ていると、昔の自分を思い出します。皆すごく不安で、萎縮しているのがわかりました。でも皆、当時の僕よりも日本語を話すことができている。とにかくできるとかできないとか考える必要はなくて、やりたいと思ったことは何でも挑戦してください、と言いました」

 日本語に自信がなく、他のスタッフとあまり話さない、本当はやりたいことがあっても言えない、という人が多いのだという。

 「ユニクロは、店長も、スタッフも、お客様も、頑張っている人には皆全力でサポートしてくれる、そういう環境です。それを信じて、やってみて、もし失敗してもまた挑戦すればいいと思う。怖いからと何もやらずに2、3年経ってしまったら、時間をロスしてしまいます。なので、とにかくやってみてください、と。僕はいつも、できないことなんてないと思っているんです」

 初めて来た日本で、初めて父親と会い、初めて日本語を覚えて、そして初めて日本の企業で働き始めた。大変だったが、無我夢中で、常にチャレンジがあった。入社して1年経たないうちに、ユニクロの本部で行われている月度朝礼に出席して、何千人という社員の前でスピーチし、柳井正社長とも面会した。

 ミン氏は、自分は周りの変化に合わせて一緒に変化するタイプだと言う。変化のスピードの速い環境にいると、自分もものすごいスピードで進化し、自分が以前とは全く別の人間になっているように感じているそうだ。

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記事執筆者

北沢 みさ / MK Commerce&Communication代表

東京都出身、日本橋在住。早稲田大学第一文学部卒業。
メーカーのマーケティング担当、TV局のプロデューサーの経験を経て、
1999年大手SPA企業に入社しマーケティング・PRを12年、EC・WEBマーケティングを8年担当し、ブランドの急成長に寄与。
2018年に独立後は、30年に渡る実務経験を活かし、小売・アパレル業界を中心に複数企業のアドバイザーとして、マーケティングおよびEC業務を支援中。

 

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