リーマンショック直後にとった、ある小売名経営者の洞察と行動
2008年9月15日、米国の名門投資銀行であるリーマン・ブラザーズが破綻したことをきっかけに世界的な金融危機が起こったことは、周知のとおりだ。
鋭く時代を感じ、行く先を見据えるスピード感
リーマンショックから何日か後、私は東北地方に本部を構える食品スーパー企業のトップにインタビューするために東京駅6時台発の新幹線で向かっていた。
仙台駅を過ぎた辺りで、携帯電話がブルブルと震える。
「こんな時間に誰だろう?」と登録のない電話番号表示を横目に不信に思いながら電話に出てみれば、当日に取材予定の社長本人からだった。
「9月15日以降、すべてが変わってしまった。過去の価値感覚を改め、新しい戦略を練り直さなければいけないから、何も話すことはできない。だから今日の取材は勘弁して欲しい」と言う。
それまでの記者人生の中で取材はドタキャンされることは多々あったけれども、いずれも前日までの話。当日に、当事者から、途上で、連絡をもらうことは初めてだったし、考えてみたこともなかった。
「いや、もうそちらに向かっているので、取材ができないというならご挨拶だけでも………」と粘ってみると、そのトップは、諦めたのか、「わかった。じゃあ、いらっしゃい」と言ってくれた。
訪問すると、電話での声の調子とは異なり、トップの態度は柔和で落ち着いていた。結果的には、予定通りに取材をすることができ、安堵したのを覚えている。
さて、この9月下旬の段階では、リーマン・ブラザーズが経営破綻したことは、誰もが知る事実であった。しかし、ここを起点に「リーマン・ショック」が起こり、「100年に一度の経済危機」が到来することを予想していた者は少なかった。
実際、私もその時点では、トップに対して、「ずいぶんと大げさだなあ」という印象を持ってしまった。けれども、彼の主張の正しさは1年ぐらいの時間をかけて証明されることになる。
何かの事件勃発を我がものとしてとらえる時代感覚の鋭さ。対策を提示する速度――。
さて、そのトップとは誰だったか?
現在アークス(北海道/猫宮一久社長)グループの事業会社として、経済地盤沈下が著しい東北地方の中で健闘しているユニバース(青森県)の故三浦紘一さん(当時社長)である。